源頼朝や徳川家康からの崇敬も篤かった「箱根神社」

投稿日:2023年7月18日 更新日:

箱根の有名な観光地の一つ「箱根神社」は、外国人にも大人気のスポットです。

創建は第5代の孝昭天皇の時代ともいわれ、かなりの歴史がある神社です。

関東総鎮守として武士からの信仰が厚く、源頼朝や後北条氏、徳川家康らからも崇敬された由緒ある神社です。

 

芦ノ湖に立つ鳥居は、絶景のインスタ映えスポットとして外国からの観光客が何十人も並ぶほど人気です。

箱根神社の歴史

箱根といえば山が多く険しい地形で有名ですが、奈良時代には多くの山岳修行僧が往来していた土地です。

山岳修行僧だった万巻上人が天平宝字元年(757年)に来山し、勅願を得て創建したのが箱根権現社(箱根神社)といわれています。

 

治承4年(1180年)に源頼朝が石橋山の戦いで敗れた際は、当時の別当が頼朝をかくまって助けたことで、武士から篤く信仰されるようになりました。

 

戦国時代には伊勢新九郎の末子だった北条幻庵が幼くして箱根神社の別当寺金剛王院に入寺し、後に第40代別当になっています。

少し前に北条幻庵の小説を読みましたが、幻庵が子供の頃に僧になって後に箱根神社の別当になったのは、当時の武士の信仰が篤かった箱根神社との結びつきを強めることが狙いだったそうです。

 

1590年の豊臣秀吉による小田原攻めで焼失しましたが、徳川家康によって再建されました。

 

明治政府による神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は箱根神社に改称されます。

国幣小社とは終戦まであった神社を等級化した制度によるもので、現在は廃止されています。

 

曽我神社と兄弟杉

階段の先に神社のご神木、かながわの名木にもなっている矢立の杉があります。

 

さらに階段を登ると曽我神社があります。曽我神社は敵討ちで有名な曽我兄弟を祀った神社です。

1176年に親族間の争いから、曽我兄弟の父・河津三郎祐泰が工藤祐経に討たれてしまいます。この時、兄の十郎は5歳、弟の五郎は3歳でした。

母はその後に曽我祐信と再婚したので二人は曽我の姓を名乗ることとなり、杉の木を相手に武術に励みました。

1193年に二人は祐経を討って父の仇を取りましたが、兄は戦死し弟は捕らえられてしまいます。

捕らえられた弟は斬首されましたが、その時の態度が堂々としていたので武士の鑑と称賛されました。

曽我兄弟の仇討ちは、今も赤穂浪士と並ぶ三大仇討ちの一つとして語り継がれています。

 

(曽我神社の隣にある兄弟杉の看板)

 

箱根神社と九頭龍神社

曽我神社をさらに上った先に箱根神社の本殿があります。

石橋山の戦いで破れた源頼朝を助けたことから、鶴岡八幡宮に次いで武士に信仰されたそうです。

 

箱根神社と合わせてお参りすると良いとされてるのが九頭龍神社です。

箱根神社、九頭龍神社の両社参り、さらに山頂にある箱根元宮をあわせて三社参りといいます。箱根元宮は時間がかかるので三社参りは時間がある人におすすめです。

(龍神水)

 

(新宮)

 

平和の鳥居は外国人にも大人気の撮影スポット

平和の鳥居は、昭和27年(1952年)にサンフランシスコ講和条約が締結されたことと、皇太子の立太子の礼を記念して建立されました。

この鳥居の扁額には「平和」とありますが、これは吉田茂の筆によるものです。

この扁額の平和から平和の鳥居と呼ばれています。

 

平和の鳥居には外国人観光客が写真を撮るために何十人も並んでました。湖に鳥居が浮かぶように見えることから、インスタ映えスポットとして知られています。

写真は1日目に訪れた時のものです。

週末に訪れると1時間以上待つのが当たり前ですが、平日の早朝だと比較的空いてるようです。

一緒に来た人が次の日の早朝に車で行ったらガラガラだったと言ってました。

 

箱根神社のアクセス

所在地 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1
交通手段 伊豆箱根バス「元箱根」バス停、または箱根登山バス「元箱根港」「箱根神社入口」バス停から徒歩

 

 

車の場合は、近くに有料のものと無料の駐車場があります。

 

箱根神社の二の鳥居近くにも駐車場が何か所かあります。

 

おわりに

箱根神社は雰囲気があって境内を歩いてると清々しい気分になります。

 

コロナの行動制限が解除されて箱根が大人気ですが、不動産でも出ると直ぐ売れてしまう状況です。

 

毎月どこかへ旅行する知人が箱根は見所が詰まった場所だから何度も訪れるといってました。

そんな魅力盛りだくさんの箱根ですが、中でも箱根神社は外せない箱根観光の一つです。

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