横浜市中区にある「山手公園(やまてこうえん)」は、日本で最初の洋式公園といわれています。
幕末の日本では、攘夷運動が盛んだったため、外国人が安全に散策できる場所を幕府に要望したことで建設されました。
山手は横浜の港から陸に入った丘の上にあります。
この辺りは、幕末に外国人の居留地となって洋館が建ち並び、現在も観光地として人気のエリアです
日本最初の洋式公園
山手公園は、日本で最初の洋式公園といわれています。
幕末の日本では各地で攘夷運動が起こり、外国人に対する殺傷事件が起きました。
攘夷運動や外国人への殺傷事件に対して恐怖を覚えた外国人たちは、安全に休息できる公園を政府に要望し、明治3年になってようやく日本政府も動きました。
居留地に住む外国人たちに対して、山手の土地を貸し、外国人が造成することによって、明治3年5月6日に開園したのが「山手公園」です。
横浜市教育委員会の案内
「横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を望む声があり、慶応二年(1866)に外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及び競馬場墓地等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。しかし、この中の公園計画は具体化しないで終わりました。
明治二年(1869)に居留民代表から改めて要求が出されたのに対して、日本政府は山手妙光寺付近の土地約六千坪を、慶応約書で約束した土地の代替地として貸与しました。公園の造成は居留民が行い、明治三年五月六日(1870年6月4日)に開園したのが山手公園です。
明治十一年(1878)からは、居留外国人女性で組織された横浜レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ(横浜婦女弄鞠(ろうきゅう)社)が管理することなり、クラブハウスとコートがここに設けられました。」
山手公園の記念碑
山手公園は日本庭園発祥の地
山手公園は、丘陵地帯にあります。
坂が多い場所なので、すぐ階段を下りる入口もあります。
遊具広場もあり、小さい子向けのすべり台とブランコが設置されてます。
駐車場がある側の入口、左にはテニスコートがあります。
日本最初の洋式公園だけあって、あずま屋も洋式風です。
モダンなベンチも設置されてます。
山手68番館と呼ばれた洋館は、現在テニスコートのクラブハウスになっています。
開園当初、園内には様々な植物が植えられていたそうです。
山手公園では、日本で最初のテニスが行われ、日本最初のテニスクラブもできたそうです。
山手公園の駐車場入口付近には、「日本庭球発祥之地」の石碑が建っています。
神奈川県には国指定名勝が5か所ありますが、山手公園はそのうちの一つです。
テニス発祥記念館には、テニスウェアやテニスの歴史などを展示しています。
山手公園のアクセスデータ
所在地 | 神奈川県横浜市中区山手町230 |
交通 | JR根岸線「石川町駅」から徒歩10分、根岸線「山手駅」・みなとみらい線「元町中華街駅」から徒歩15分、最寄りのバス停「麦田町」 |
山手公園の周辺
山手公園の周辺にある他のおすすめスポットも紹介します。
イタリア山庭園
明治13年(1880)から明治19年までイタリア領事館があったことが名前の由来です。
敷地内からは、ベイブリッジやみなとみらいの建物が望めます。
庭園内には、外交官の家(重要文化財)とブラフ18番館(横浜山手・暮らしと歴史の資料館)があります。
外交官の家は重要文化財になってます。
山手イタリア庭園の案内図
外交官の家(第4水曜日休館)とブラフ18番館(第2水曜日休館)は、それぞれ休館日が違うので注意です。
開館時間はどちらも9時30から17時までです。
元町公園
フランス人実業家のジェラールの工場跡にできたのが元町公園です。
元町公園の敷地には、現在も歴史的価値ある洋館や遺構が残っています。
港が見える丘公園
港が見える丘公園は、横浜を代表する観光スポットです。
映画「コクリコ坂から」の舞台が港が見える丘公園といわれており、展望台からは大さん橋や横浜ベイブリッジがよく見えます。
おすすめはバラ園です。
汐汲坂
「汐汲坂」は、元町から山手に通じる坂の一つです。写真は坂の上から下に向かって撮ったものです。
まとめ
・山手公園は、生麦事件や攘夷運動に不安を感じた外国人が政府に要望してできた公園だった。
・日本政府が居留民に貸し出し、その土地を居留民が造成してできたのが山手公園だった。
・山手公園は、日本で最初の洋式公園。
・日本で最初のテニスクラブが作られ、テニス発祥の地と言われている。