縄文時代・弥生時代の史跡として横浜市で有名なものに、三ッ沢貝塚や野島貝塚といったものがあります。
しかし、現地には解説版があるだけなので、立ち止まる人はあまりいません。
その点横浜市磯子区の岡村には、復元された竪穴式住居を見学できる「三殿台遺跡」があります。
普段からあまり混んでないので、緊急事態宣言下でも大丈夫だろうと思って行ってきました。
三殿台遺跡とは
三殿台遺跡では、縄文時代から弥生時代といった古代のムラの生活を知ることが出来ます。小学生だけでなく、大人にとっても歴史の勉強になります。
遺跡は明治30年代に「屛風ヶ浦岡村貝塚」として学会の雑誌で紹介された後、何度か調査が行われ、昭和41年(1966)に国の指定史跡になりました。
調査の結果、縄文時代から古墳時代にわたる約270軒の竪穴式住居跡が複雑に重なり合って見つかり特に南関東地方で稲作が始まった弥生時代中期と、その直後の後期の住居跡が多く発見されました。
発掘後の整理作業を通じて、三殿台遺跡は大岡川流域の原始・古代のムラの様子と当時の生活を知ることが出来る大変貴重な遺跡であることが判明しました。
そこで遺跡の東側の一部のみを学校用地とし、大部分は史跡として保存されることになりました。
パンフレットより
現在、遺跡の敷地内には、復元された住居、住居跡保護棟、展示室があります。
復元された住居は、縄文時代(中期・加曽利E式期)、弥生時代(中期・宮ノ台式期)、古墳時代(後期・鬼高式期)の3棟があります。
それぞれの住居は見学ができ、中に入ることもできます。
遺跡は標高55mの高台にあるので、東に房総半島、西に丹沢や富士山を臨むことができます。
豊かな自然には野鳥などが飛来することもあります。
また、施設では一年を通してイベントを開催しています。
Twitter:https://twitter.com/Santonodaiiseki
三殿台遺跡へのアクセス
所在地 | 横浜市磯子区岡村4-11-22 |
アクセス | 横浜市営地下鉄線「蒔田駅」または「弘明寺駅」から徒歩25分、それか「弘明寺」停からバス |
開館時間 | 4月~9月・9:00~17:00 10月~3月・9:00~16:00 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日) |
遺跡は入館無料で、一応5台の駐車場があります。
三殿台遺跡の入口です。ここから遺跡まで坂です。
徒歩なら階段を利用したルートでも行けます。
到着後、敷地内の階段を上がった先に三殿台遺跡考古館があります。館内には、土器や石・青銅製品、器などが展示されてます。
縄文時代から古墳時代までのムラの様子
整備された三殿台遺跡では、竪穴住居や住居跡を見学できます。
案内を希望すれば、職員さんに15分くらいの解説をしてもらえます。
三殿台遺跡では、270軒以上の縄文・弥生・古墳時代の竪穴住居跡が発見されています。
竪穴住居跡のうち平面形や大きさがわかるものは、輪郭が分かるよう擬木(ぎぼく)で表示されています。
写真の中央にある建物は住居跡保護棟です。
住居跡保護棟の内部
奥に進んで行くと、3棟の復元された竪穴住居があり、縄文時代、弥生時代、古墳時代の竪穴住居がそれぞれあります。
縄文時代の復元された竪穴住居
三殿台に初めて人が住んだのは約4,500年前(縄文時代)といわれており、貝塚や土器、装飾品などが発見されています。
縄文時代の復元住居(中期:加曾利E式期)は中に入って見学できました。
弥生時代の竪穴住居
今から約2,000年前の弥生時代中期に、稲作や金属器を使う人によってムラが営まれたそうです。
一番手前にあるのが弥生時代の復元住居(中期:宮ノ台式期)です。
中は立入禁止でした。
古墳時代の竪穴住居
古墳時時代後期(紀元7世紀頃)のこの地方は弥生時代と大差ない竪穴住居(鬼高式期)に住んでいたそうです。
これも四本の支柱で支えられた入母屋造りであるが、住居の平面波方形になり北側屋内にかまどが築かれ、コメが主食として普及したことを物語っている。
案内板より
約1,400年前の三殿台のムラでは、窯で焼いた須恵器(すえき)や鉄製品を使っていたそうです。
住居の中には、粘土で作ったかまどがあり、これでお米を調理していたそうです。
おわりに
歴史は好きでも縄文時代や弥生時代となると、どうも……という人は多いのではないでしょうか。
私も古代の遺跡となるとあまり興味がありませんでしたが、ここの施設なら目で見れるので興味を持って見学できました。
イベントの際に訪れるのがいいかもしれません。