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鎌倉時代の北条家滅亡の地「腹切りやぐら」と「東勝寺跡」

投稿日:2019年3月8日 更新日:

鎌倉に用事があったので、帰りに「腹切りやぐら」と「東勝寺跡」に行きました。

腹切りやぐらと東勝寺跡は、鎌倉時代の執権北条氏と縁がある史跡です。

隣接してるので一緒に見るのが効率的ですが、腹切りやぐらは現在ロープがかかって立入禁止のようです。

腹切りやぐらと東勝寺跡

腹切りやぐらには、新田義貞の軍勢に攻められて自刃した鎌倉幕府の最後の最高権力者北条高時の供養塔があります。

鎌倉幕府最後の執権は赤橋流北条守時ですが、実質的な最高権力者は北条高時といわれています。

高時と一緒に自刃した者には、金沢流、名越流、佐助流、常葉流といった北条氏一門と長崎、南条といった譜代の家臣など283人いたそうです。

後から殉死した者も合わせると870人以上が亡くなったといわれています。

 

腹切りやぐらの手前には、鎌倉時代の北条氏の菩提寺の一つであったとされる東勝寺跡があります。

鎌倉幕府滅亡時に建物は滅失したといわれていますが、その後に再建されて室町時代には関東十刹にも数えられたそうです。

しかし、その後に廃寺となっており、東勝寺のあった場所は、現在は更地になっています。

東勝寺跡地は現在フェンスで囲まれて中に入れないようになっています。

 

東勝寺橋と青砥藤綱のお話

 

写真は東勝寺跡の手前にある東勝寺橋です。

橋の手前にあった看板には、東勝寺橋は鎌倉市の景観重要建築物の指定を受けているとあります。

東勝寺橋は、平成11年(1999)に「かまくら景観百選」に選定されています。

 

青砥藤綱の旧蹟に面白いエピソードが紹介されてます。

「太平記に拠れば、藤綱は北条時宗、貞時の二代に仕へて引付衆に列りし人なるが 嘗て夜に入り、出仕の際誤って銭十文を滑川に堕し、五十文の松明を購ひ、水中を照らして銭を捜し、竟に之を得たり。

時に人々小利大損哉と之を嘲る。

藤綱は十文は小なりと雖、之を失へば天下の貨を損ぜん、五十文は我に損なりと雖、亦人に益す、旨を訓せしといふ。

即ち其の物語は此の辺に於て演ぜられしものならんと伝へらる。

昭和十三年五月建 鎌倉町青年団」

 

藤綱が滑川に落とした銭十文のために、銭五十文の松明を購入して探させたことを笑われると「自分の十文は少ないが天下の財貨を失うことになり、十文を探すために使った五十文は自分にとっては損だが、五十文を使ったことは天下の利益となる」と答えたそうです。

青砥藤綱は執権の北条時頼と時宗に仕え、名奉行と呼ばれました。

確かに名奉行らしいエピソードです。

 

東勝寺橋の下を流れているのが滑川です。

滑川は鎌倉では有名な川ですが、川自体は小さな川です。

 

東勝寺跡

東勝寺跡の史跡は、現在では国の指定を受けています。

 

東勝寺は、13世紀前半に鎌倉幕府第3代執権の北条泰時が、開山に退耕行勇を迎えて得宗(北条氏嫡流)家の氏寺として創建しました。

 

案内によれば、東勝寺は城塞としての機能もあったそうです。

元弘3年(1333)に新田義貞らによって鎌倉が攻められると、幕府の最高権力者である北条高時は東勝寺に立て籠もりましたが、最期は一族郎党とともに自害して鎌倉幕府は滅亡、建物は焼失しました。

焼失後まもなく、東勝寺は禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に列せられましたが、16世紀ごろに廃寺になったそうです。

 

昭和50年と51年の発掘調査では、茶碗や中国の陶磁器などが発見されたそうです。

平成8と9年に行われた発掘調査では、幕府滅亡時に焼失したと考えられる建物の跡と、それを覆う10数㎝の炭の層が発見されたといわれてます。

 

現在の東勝寺跡ですが、周りはフェンスで囲まれているので、中に入ることは出来ません。

奥にやぐらのようなものも見えましたが、ハッキリと何なのかまでは分かりませんでした。

 

東勝寺は山号を青龍山というそうです。

 

「腹切りやぐら」鎌倉幕府の滅亡の地

東勝寺旧蹟

「元弘三年五月、新田義貞の鎌倉に乱入するや高時小町の邸を後に父祖累世の墓所東勝寺に籠り、百五十年来殷賑を極めし府下邸第肆廛の今や一面に焔煙の漲る所となれるを望見しつつ、一族門葉八百七十余人と共に自刃す。其の北条執権史終局の惨澹たる一駒は、實に此の地に於て演ぜられたるなり。」

 

東勝寺跡の前の道をさらに進むとハイキングコースの入口があります。

 

ハイキングコースに続く階段の横には「腹切りやぐら」と刻まれた柱が立っています。

柱には「霊処浄域につき参拝以外の立入禁止」と書かれてありました。

 

腹切りやぐらは心霊スポットとしても知られており、訪れる人が後を絶ちませんが、現在は立入禁止になっています。

 

この先にあるのが腹切りやぐらです。

 

やぐらというのは、鎌倉周辺で見られる岩場をくりぬいて作った穴のことで、供養塔や仏像などを置いたりします。 

写真は北条高時の首が葬られたといわれるやぐらです。

奥には卒塔婆が何十本も立てかけてあるのが見えます。

 

東勝寺跡と腹切りやぐらへのアクセス

所在:神奈川県鎌倉市小町3丁目10−1

アクセス:JR線「鎌倉駅」東口から徒歩で約20分

 

東勝寺跡の周りは住宅街です。

腹切りやぐらは、東勝寺跡の前の道を進んだ「祇園山ハイキングコース」の入口付近にあります。

東勝寺跡から腹切りやぐらまでは、徒歩ですぐの距離です。

 

腹切りやぐら近くには、祇園山ハイキングコースの看板が出ています。こっちを目安にした方が分かりやすいかもしれません。

 

腹切りやぐら入口は、東勝寺橋から東勝寺跡までの道をそのまま進んで行った先の、ハイキングコース入口脇にあります。

 

東勝寺跡と腹切りやぐらのまとめ

・東勝寺は、鎌倉時代の北条家の菩提寺の一つだったと考えられています。

・東勝寺は禅宗の寺院として室町時代には関東十刹にも数えられましたが、16世紀ごろに廃寺となったそうです。

・東勝寺跡の奥には、鎌倉幕府の最後の得宗北条高時が葬られている腹切りやぐらがあります。

・腹切りやぐらは現在立入禁止区域になってます。

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