年末に鎌倉の小動(こゆるぎ)神社へ行ってきました。
江ノ島の高台から海の向こうに小さな岬(小動岬)が見えますが、その岬にある神社が小動神社です。
神社の前はクルマで何度も通ってますが、なかなか立ち寄る機会がなくて今回初めて境内の奥まで行ってみました。
鎌倉市の腰越にある小動神社
訪れたのが年末だったので、境内ではところどころ正月の準備がされてました。
(小動神社鳥居)
小動神社の御祭神は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
小動神社の縁起(案内板)
小動(こゆるぎ)の地名は、風もないのにゆれる美しい松「小動の松」がこの岬の頂にあったということに由来します。
縁起によれば、源頼朝に伊豆配流の時代から仕えた佐々木盛綱が、源平合戦の時に父祖の領国であった近江国から八王子宮を勧請したものと伝えられています。元弘三年(1333)五月には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願したといいます。
七月第一日曜日から第二日曜日にかけて行われる天皇祭は、江の島の八坂神社との共同の大規模な祭りで、町一帯をまわる御輿(みこし)や氏子五か町の囃子(はやし)屋台などで大いに賑わいます。
(小動神社の由緒略記)
伝承
相模風土記に往時、弘仁年中(810~822)弘法大師、小動山に登りし時、老松に神女影向あり、この松を小動の松と云うとあり。
新編鎌倉史に、土御門内大臣の歌『こゆるきの磯の松風音すれば、夕波千鳥たちさはぐなり』の歌は、此所の事とも云い、或いは、大磯の浜を詠うとも云う。
相模の名所「こゆるぎ」の歌、多しとある。社名は、古くは八王子宮、八王子大権現などと称された。
相模風土記には、八王子社を鎮守とし、社地を小動(古由留義)と云うとあり。
明治初年、現在の「小動神社」と改称した。
1868年の神仏分離で八王子社から小動神社に名を改め、1873年に村社に列格されたようです。
ちなみに小動岬は、太宰治が心中した場所としても知られてます。心中で太宰は助かりましたが、ともに自殺した女性の方は亡くなったといいます。
小動神社本殿
鳥居をくぐって参道を進んだ先に階段があります。
この階段を登って右に本殿があります。
こちらが小動神社の本殿です。
社殿
文化14年(1817)4月当所、井上氏の丹誠により、400有余の氏子により、再建されたと棟札に記録がある。
しかし、大正12年9月1日の関東大震災により被害を受け、昭和4年12月本殿は修復されたが、拝殿は新築された。
現在の「神寶殿」・「山車小屋」は平成15年から平成18年にかけて新築し、「本殿・幣殿」は平成19年4月大規模修復された。
境内には、海神社、稲荷社、金刀比羅宮、第六天社があります。
(六天社)
(海神社)
(金刀比羅宮・稲荷社)
小動神社展望台
神社の先に江の島が見える展望台があります。
天保十三年、当時の鎌倉郡腰越村は、幕府から相州警備を命じられた川越藩の管理のもと、恒常的な海防への協力を余儀なくされました。ここ小動神社展望台の左手には、かつて番所が置かれ、主に異国船渡来の通報拠点としての役割を担ったとのことです。
(幕末相模湾の防備を固めた腰越八王子山遠見番所)
(小動神社の展望台)
非常に美しい眺めです。
(展望台からの眺め)
展望台から見える江の島と腰越漁港です。
小動神社へのアクセス
所在地 | 鎌倉市腰越2丁目9−12 |
アクセス | 江ノ電「腰越駅」徒歩5分 |
近くに小さな駐車場があります。小動の交差点の近くと神社を過ぎて直ぐのところにあるのを確認しました。
おわりに
今回小動神社に行ったことで、鎌倉市にある社寺を制覇しましたので、鎌倉めぐりはとりあえず終了です。
鎌倉に住んでみた感想です。
鎌倉の問題は週末の渋滞がひどいことですが、これは観光地の宿命と思って諦めるしかありません。
鎌倉というとやはり歴史ある神社や寺院になってしまいますが、海や山といった自然も楽しめます。
東京や横浜と比べると店の閉店は早いです。私は電車にほとんど乗りませんが、お客様に聞くと電車のアクセスは悪くないみたいです。