北鎌倉にある「東慶寺」といえば、ミシュランガイド三ツ星(わざわざ旅行する価値がある)を獲得した寺院として有名だ。
ちなみに鎌倉で三ツ星を獲得したのは、この東慶寺と報国寺のみ。
東慶寺は、女性からは離婚できなかった封建時代に、約600年にわたって女性の「駆け込み寺」として存在したという。
後醍醐天皇の皇女が護良親王の菩提を弔うために寺に入ると、東慶寺は「松ヶ岡御所」「御所寺」と呼ばれるようになる。
江戸時代の初期には、豊臣秀頼の娘が20世天秀尼となり、江戸幕府公認の縁切寺となった。
境内には、多くの文化人のお墓があることでも知られている。
東慶寺の歴史
東慶寺は、弘安8年(1285)に鎌倉幕府第8代執権北条時宗夫人の覚山志道尼を開山に、北条貞時を開基にして創建された。
山号を松岡山、寺号を東慶総持禅寺とする臨済宗円覚寺派の寺院である。
東慶寺の案内板によれば、北条時宗夫人による開山依頼、約600年間にわたって縁切寺法を守ってきたそうだ。
東慶寺は、女性から離婚できなかった時代に、駆け込めば離縁できる数少ない女性救済の寺として存在した。
後醍醐天皇の皇女が寺に入り、5世用堂尼(ようどうに)となったことで、東慶寺は松岡御所と称され、寺格の高い尼寺として知られるようになった。
江戸時代には、豊臣秀吉の孫にあたる天秀尼が20世になると、徳川幕府公認の縁切寺となった。
ただ、実際は女性から離縁を突きつけることはあったそうだ。
明治38年(1905)に元円覚寺派管長の釈宗演が住職となり、荒廃していた東慶寺を再興した。
宗演の門下には、世界に禅を広めた鈴木大拙がいた。
鈴木大拙は、宗演の遺言に基づき、昭和20年に境内に松ヶ岡文庫を設立し、禅文化研究の拠点とした。
室町時代には鎌倉尼五山(東慶寺以外は残ってない)第二位に列せられる。
東慶寺は梅の名所として知られているが、その他にもハナショウブ、アジサイ、しだれ桜、夕顔、紅葉といった花が植えられており、四季を通じて楽しめる。
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会津騒動
賤ヶ岳の七本槍の一人として勇名を馳せた初代加藤嘉明が、寛永8年(1631)に病没すると嘉明の長男である明成が跡を継いだ。
跡を継いだ明成は、年貢の取り立てを厳しくし、領地の商人から法外な利益を得るなど、領民を虐げた。
筆頭家老の堀主水も明成の行動を諫めるが、明成は苦言ばかりの主水を疎んじるようになり、次第に二人の仲は険悪になっていった。
或る日、明成の家臣と主水の家臣が喧嘩をする事件が起こる。
実際は明成の家臣に非があったが、事件を聞いた明成は一方的に主水の家臣に非があるとし、主水に対しても蟄居を命じた。
主水が明成の処置に文句をいうと、これに怒った明成は主水の職を罷免する。
呆れた主水は、妻子を東慶寺に預けて、明成のいる城に鉄砲を放って関所を押し破り、自身は高野山へと出奔した。
高野山は明成の身柄引き渡しを断ったが、高野山を戦場にするわけにはいかないので山を出た。
幕府重役による評議の結果、家臣でありながら主君の住む城に鉄砲を放ち、関所を押し破ったことは問題だということになった。
これにより主水の身柄は明成に引き渡され、主水の弟と共に処刑されてしまった。
その後、明成は主水の妻子が匿われていた東慶寺に家臣を使わし、妻子を捕らえて処刑してしまった。
このことを天秀尼が怒り、義母の千姫を通して幕府に訴えた結果、会津藩は取り潰しとなった。
花の名所
東慶寺の境内は、1年を通して花が咲いている。
山門前には、梅が咲いていた。
石段を上ると山門がある。
東慶寺の隣には、喫茶店がある。
石段を上って振り返ったときの眺め。
山門をくぐると路の両側に梅の木が植えてある。
左には鐘楼がある。
ミシュランガイド三ツ星だけあって、訪れる人が多い。
東慶寺の本堂
中央に安置されてあった仏様。
「菖蒲畑」菖蒲の見頃は、6月初旬~中旬頃。
「白蓮舎」
「寒雲亭」
「東慶寺書院」
「さざれ石」
境内の奥には、後醍醐天皇皇女・用堂尼や豊臣秀頼息女・天秀尼の墓がある。
用堂女王墓
天秀尼のお墓
他にも、和辻哲郎、鈴木大拙、西田幾多郎、岩波茂雄といった文化人のお墓がある。
主な文化財
境内の松岡宝蔵には、重要文化財の聖観音菩薩立像、東慶寺文書、初音蒔絵火取母、葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱をはじめ、多くの文化財を収蔵、展示してある。
松岡宝蔵の拝観は、9:00~15:30。月曜休館。
拝観料は展示内容によって異なる。
本堂の奥の水月堂には、水月観音菩薩半跏像が祀られている。
水月堂の拝観は、1日2回の9:30 ~(毎月第1日曜日のみ10:00〜)と14:30 ~
拝観料は300円。
松岡山東慶寺のアクセス
所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内1367
アクセス JR北鎌倉駅から徒歩で4分
電話 0467-22-1663
拝観時間 8:30〜16:30(10月〜3月は16:00まで)
東慶寺の前の通り
松ヶ岡東慶寺入口
参考
井上禅定「東慶寺と駆込女」有隣新書