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横浜港発祥の地「象の鼻パーク」の散策

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横浜の開港広場から、大さん橋へと向かう途中に横浜港発祥の地と言われる「象の鼻波止場」がある。

明治の時代に、欧州文明を見学するために日本を旅だった岩倉使節団は、この象の鼻波止場から船に乗って出発したといわれる。

 

2009年に横浜港150周年を記念して「象の鼻パーク」が開園され、多くの人が訪れる観光スポットになっている。

象の鼻の歴史

象の鼻パークにあった解説版

「象の鼻地区の波止場は、時代とともにさまざまな愛称で親しまれてきました。開港当初の波止場は東西2本の直線状の突堤で、東側の突堤は「東波止場」と呼ばれ、主に外国からの輸出入貨物の積卸しに使用されました。 西側の突堤は「西波止場」と呼ばれ、国内貨物の積卸しに使用されました。

「元治元年(1864)、貿易量の増大に伴い、現在の山下公園中央付近に新たに「東波止場」が造られると、象の鼻地区の2つの突堤を総称して「西波止場」と呼ぶようになりました。

「フランス人建築家クリペによる「横浜絵図面」には、慶応元年(1865) 当時の西波止場の姿が描かれています。当時の水際線は、現在の横浜開港資料館前の海岸通りの位置にあり、2本の突堤はそこから海に突き出てい たと考えられます。

東波止場はフランス人居住区の前面にあったので「フランス波止場」とも呼ばれました。明治2年(1869)、象の鼻地区の前面にイギリス領事館(現在の横浜開港資料館の所在地)が建てられると、西波止場は「イギリス波 
止場」とも呼ばれました。西波止場の西側の突堤は、国内貨物用だったので「日本波止場」、税関の建物に近いので「税関波止場」とも呼ばれました。
 

象の鼻パークでは、西波止場の西側の突堤の位置を、広場内の舗装パターンを変えることで表現しています。」

 

明治4年11月12日、象の鼻波止場から出発する「欧州使節団」の絵。

欧州使節団の目的は、不平等条約改正や欧州の国家制度、産業技術を学ぶことで、100人近くの日本人がこの場所から海を渡った。

ちなみに岩倉具視だけは、髷のまま欧州をまわったという。

 

明治43年(1910)頃の横浜港の様子。絵は山下臨港線プロムナードの下の壁にある。

 

象の鼻パーク

みなとみらい線の日本大通り駅を出て、神奈川県庁の前の通りを真っすぐ進むと象の鼻パークがある。

象の鼻パーク側から見た日本大通方面。

 

「象の鼻パーク」入口付近にある案内

象の鼻パークは、横浜開港150周年を記念して整備され、2009年に開園した。

 

象の鼻パークからは、みなとみらいや赤レンガ倉庫が望める。

 

奥の右から伸びているのが象の鼻波止場。期待してきた観光客の中には、見てがっかりする人も……。

 

「開港の丘」と「象の鼻波止場」

奥に見えてるのは「横浜ベイブリッジ」と「大さん橋」だ。

 

「開港の丘」と「赤レンガ倉庫」

赤レンガ倉庫は、橋を渡ったらすぐそこという距離。

 

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みなとを造った偉人たち

象の鼻パークでは、「みなとを造った偉人たち」の業績をたたえて、功があった人をパネルで紹介している。

 

「R・H・ブラントン」我が国の灯台建設の父であるとともに、開港場横浜のまちづくりの先導的役割を担った。彼が提案した横浜港築港計画が、後のパーマーによる築港計画の基礎となった。

 

「G・ウィットフィールド」横浜大火後の復興に尽くし、象の鼻防波堤の工事を計画した。

 

「原善三郎」船舶修繕のためにドッグを計画し、横浜三菱重工横浜造船所設立にかかわった。

 

 

「H・S・パーマー」横浜の近代的水道事業を行い、横浜港の改良計画を行った。

 

「三田善太郎」日本人で初めて近代的水道を設計し、横浜の街づくりに貢献した。

 

「恒川柳作」ドック建設のスペシャリストとして、みなとみらいに現存するドックを建設した。

 

「古市公成」明治31年、横浜税関拡張工事計画説明書を作成、この計画による新港ふ頭の完成により横浜港は近代港湾として発展した。

 

「水上浩躬」横浜商業会議所の要望を受け、係船岸壁工事の提案を進言。財政難で中断した築港工事の費用負担等の調整を行い、完成までの道筋をつけた。

 

「市原盛宏」新港ふ頭整備を核とする第2期築港工事を完成に導いた。

 

「小野光景」第4代横浜商業会議所会頭として、計画半ばで止まっていた横浜港の第2期築港計画を推進するため、横浜市長、臨時税関工事部長、横浜税関長と協議し、工事を完成に導いた。

 

「妻木頼黄」官庁営繕建築を手がけ、横浜港では大蔵省臨時建築部長として税関監視部庁舎、新港ふ頭赤レンガ倉庫など数多くの税関関連建築を手がけた。

 

丹羽鋤彦」大蔵省臨時税関工事部技師として携わった新港ふ頭整備工事の完成によって、横浜港は近代港湾として発展した。

 

安藝杏一」大正12年の関東大震災に伴う横浜港の復興工事に際して中心的役割を担った。

 

有吉忠一」 大横浜計画を掲げ、横浜港の拡充、臨海工業地帯の建設、市域の拡張をスローガンに、外防波堤の建設、瑞穂ふ頭の建設などを進めた。

 

交通アクセス

所在地 神奈川県横浜市中区海岸通1丁目 横浜市中区海岸通1丁目

交通 みなとみらい線「日本大通り駅」から徒歩3分

 

 




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おぐに

歴史と旅が好き。休みの日は、ツーリングや観光していることが多い。

神奈川県の観光地を紹介していく予定。

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