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「横浜中華街」は横浜を代表する観光スポット

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横浜の中華街と言えば、横浜の代名詞ともいえる観光スポットだ。

 

みなとみらい線「元町・中華街駅」の1番出口から地上に出れば「中華街東門」の前に出る。

東門前から「横浜中華街」へは徒歩1分、1番出口を北東に歩けば3分ほどで「山下公園」へも行ける。

 

横浜中華街は、東アジアで最大規模の中華街といわれており、また、神戸南京町や長崎新地中華街とともに日本の「三大中華街」とも呼ばれている。

周りには、横浜元町や山下公園、港の見える丘公園、横浜公園といった観光スポットも多くある。

横浜中華街

1859年の幕末、欧米列強の圧力により、日本は開港する。

開港後に外国人居留地が造られ、多くの外国人が来日する。

現在の中華街がる場所は、元々は中華街ではなくて外国人街であった。

中国人中心の街になったのは、関東大震災後からといわれている。

中華街のある一帯は、関東大震災で壊滅的な打撃を受けるもなんとか復興し、復興後はそれまで以上に中華料理店が建築され、中華街は横浜の名所的な性格を強めていった。

第二次世界大戦後の中華街は、闇市としての賑わいをみせたそうだ。

1964年には、石川町駅か開通し、多くの観光客が訪れるようになる。

日中国交正常化後は、さらに多くの観光客が訪れ、横浜中華街は横浜を代表する観光スポットとなった。

 

現在の中華街には、6000人を超える中国人が暮らしている。

約0.2平方キロのエリア内には600店以上の店舗があって、昼時に通ると飲食店の店員さんの呼び込みが賑やかだ。

 

中華街には、10基の牌楼と呼ばれる門がある。

牌楼は、中国の伝統的な建築様式の門で、中国の歴史ドラマや雑誌などでもよく見かける。

横浜中華街を象徴する牌楼の「善隣門」。門のまわりには、記念写真を撮っている観光客がたくさんいた。

この先の通りもにぎやかだ。

 

10基ある牌楼の中でも、東の青龍門、南の朱雀門、西の白虎門、北の玄武門は、それぞれの守護神によって守られていて、特に重要な牌楼といわれている。

ちなみに4基の門は、それぞれ色が違う。

青龍門は青色、朱雀門は赤色、白虎門は白色、玄武門は黒色で、風水と関係しているそうだ。

朱雀門の柱は赤色。

 

中華街の街の一角には、「関帝廟」と「媽祖廟」があり、パワースポットになっている。

 

2004年に元町・中華街駅が出来てみなとみらい線が開通してからは、渋谷駅から1本で訪れることができるようになった。

 

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石川町駅から中華街へ

今回は、JRの石川町駅で下車して中華街に行ってみた。

「元町・中華街駅」ができる前は、中華街と元町へ行く場合はこの石川町駅で下車していた。

今の石川町駅は、昔に比べると静かになった印象だ。

 

「延平門」

駅を出て3分ほど歩くと、白虎が守護する白色の門が見えてくる。

 

横浜中華街の地図。

 

「花園橋の親柱」

港中学校の門の柱は、昭和48年(1973)に廃橋になった花園橋を利用しているんだとか。

 

延平門(白虎門)をくぐると雰囲気がガラッと変わる。

 

延平門を直進すると、中華街のシンボル「善隣門」に到着する。

 

中華街大通り

 

中華街には、占いの館もたくさんある。

 

関羽を祀る関帝廟

横浜中華街には、三国志でもお馴染みの関羽を祀る「関帝廟」がある。

関羽は、商売の神様として祀られており、関帝廟は商売繁盛のパワースポットでもある。

右側に見えているのが「関帝廟」

 

「関帝廟」は、多くの観光客でにぎわっていた。

 

関帝廟入口。

 

関帝廟の裏側

 

「関聖帝君の略歴」

関帝廟では、三国時代の武将関羽を祀っている。

関羽は、後漢末期から劉備の義兄弟として活躍し、蜀建国の最大の功労者の一人。

劉備、張飛の三人と桃園で義兄弟の誓いを結んだことでも有名(桃園の誓い)。

蜀の建国後、敵対する魏に対して北伐を試みたが、219年に魏と組んだ呉の呂蒙・陸遜に後方から攻められて破れ、処刑された。

その後、蜀では関羽の功績に感謝して関帝廟が建てられる。

蜀滅亡後に興った晋、唐、宋、元、明、清の各朝廷も関羽の誠忠・守義に感動して帝位を授け、護国の神として祀ったという。

 

商売の神様としての由来

関羽は、武将として兵站に精通し、記帳にもたけて昔の中国社会で使われていた簿記法(大福帳)を発明した。

関羽の誠を尽くし約束事を守る精神が商人にとって最も大事であることから商売の神様として祭られることになった。

 

山下町公園

関帝廟を出て媽祖廟に向かう途中には、「山下町公園」という名の公園がある。

関帝廟から天長門に向かって歩いた先にある。

 

「山下町公園」は、名前が山下公園に似ているが、全く別の公園。

中華街の散策で疲れた時に休憩するといいかも。

 

「天長門」

 

媽祖廟

媽祖廟は、2006年に出来た新しい寺院。

媽祖は、航海・漁業といった海の守護神であり、中国で信仰を集める道教の女神。

縁結び、学問、子宝、金運などにご利益があるそうだ。

「媽祖廟」

 

「媽祖の由来」がかかれた案内板

「中国の歴史上、実際に存在した人であり、「林氏族譜」によれば、媽祖は宋の太祖の建隆元年(960年)3月23日に生まれ、一ヶ月たっても泣き声をあげないので、<林黙娘>と名づけられました。その家系は、唐代の<田九牧>(一族9人の地方長官)の6番目にあたる邵州刺史林蘊の7代目の子孫であって、福建における林氏の始祖である林禄公23代目の子孫に当たります。

小さい時から才知に長け、10歳で朝晩欠かさず念仏を唱え始めました。16歳の時、神からの教えと銅製の札を授かり(井戸をのぞいて神様から護符の書き方を授けられという記述もあり、諸説あるものと思われます。)、神通力を得、変化の術に通じるようになりました。札の力をもって邪を払い、悪をしりぞけ、災いを消し去り、人々の病を治し、世のために力を尽くしました。よく神通力を示し、むしろに乗って海を渡り、雲に乗って島を巡回するので、みんなから敬意をこめて<通玄の霊女>と呼ばれるようになりました。

宋の太祖の雍煕4年(987年)9月9日、修行を終え、ある晴れた日に天にのぼった。28才の時のことです。亡くなってから、彼女が紅い衣装をつけ、海上を飛んで、難民を救助している姿が目撃されるようになりました。霊験あらたかに護国救民を行ってきたので、郷民は廟を建てて祀るようになった。その神通力が広まるに従って、歴代の皇帝がそれぞれ贈り名を贈るようになりました。宋の微宋は<順済婦人>、宋の光宋は<霊恵妃>、元の世祖は<天妃>、清の康煕は<天后>、また清の道光は<天上聖母>という名前を贈りました。

媽祖は人間から神様となり、海の神様として祀られています。船主は船の中に神棚を設けて祀っていました。のちには海や航海の安全だけでなく、自然災害やコレラ等の疫病の発生や、盗賊戦争の不安にも、彼女を祈り、安寧を祈願するようになりました。

媽祖の信仰は、華僑の出国にしたがって世界各地へ伝わりました。華僑のいる多くの地域には、媽祖廟が祀られています。一部の統計では、現在世界には媽祖廟は、26か国1500余か所の地区に及んでおり、媽祖さまを祀る人々は2億人といわれています。台湾だけでも媽祖廟は八百余か所、媽祖さまを祀る人々は千五百万人、日々参拝する人々が絶えることはありません。」

 

横浜中華街へのアクセス

所在地 神奈川県横浜市中区山下町

アクセス みなとみらい線「元町・中華街駅」から徒歩1分、JR根岸線「石川町駅」から徒歩5分

 

東急東横線の渋谷駅からも元町・中華街まで直通が出ている。

 

終わりに

みなとみらい線「元町・中華街駅」が出来たことで格段にアクセスしやすくなった横浜中華街を散策すれば、まるで中国にいるような気分を味わえる。

中華街には、中華料理店以外にも様々なお店があり、いろんなイベントも行われている。

  • この記事を書いた人

おぐに

歴史と旅が好き。休みの日は、ツーリングや観光していることが多い。

神奈川県の観光地を紹介していく予定。

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