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鎌倉時代の面影を残す「朝夷奈切通」

投稿日:2018年3月2日 更新日:

鎌倉には、山などを切り開いて作った切通しがいくつかあります。

鎌倉にある切通の中でも、特に有名なものが「鎌倉七口」といわれる七つの切通しです。

鎌倉七口

鎌倉七口は、三方を山に囲まれた鎌倉に入るための7つの主要な交通路のことです。

・化粧坂

・亀ヶ谷坂

・巨福呂坂

・大仏切通

・極楽寺坂

・名越切通

・朝夷奈切通

 

鎌倉七口のうち、化粧坂、大仏切通、名越切通、朝比奈切通の4つは、今も比較的に当時の面影を残しているといわれてます。

ただ、実際は当時の場所とズレてるものもあるみたいです。

「化粧坂」は、新田義貞と北条軍との戦場の地になった切通しです。

 

「亀ヶ谷坂」は、山の内と扇ガ谷とを結ぶ交通路です。現在は舗装された道路に案内板が立ってます。

 

「巨福呂坂」の一部は、現在私有地になっているため通行禁止になっています。

 

「大仏切通」は、昔の交通路の面影を残しているといわれてます。

 

「極楽寺坂」は、鎌倉時代後期に開かれたといいます。

 

「名越切通」には、大切岸ややぐら群があります。

 

朝夷奈切通

朝夷奈切通は、鎌倉七口の一つで横浜市金沢区の朝比奈と鎌倉市十二所とをつなぐ交通路でした。

鎌倉時代の六浦は、鎌倉の外港として重要な拠点だったそうです。

また、六浦で作られた塩が鎌倉に運び込まれるための道でした。

 

吾妻鏡には、仁知2年(1241)に、執権北条泰時の指揮のもと、切通しの工事が行われたとの記述があります。

 

1956年に県道金沢鎌倉線ができるまでは、鎌倉と横浜市を行き来する通路として使われていたようです。

県道金沢鎌倉線

 

鎌倉時代、金沢の地は北条氏の一族である北条実時が治めていました。

金沢の六浦を北条氏が押さえることは、房総半島の兵を六浦に輸送したり、切通を通って鎌倉に兵を送ることができるため重要視されてました。

 

鎌倉と六浦を結ぶ道は、六浦で製造された塩を鎌倉に運んでいたため塩の道といわれました。

商人が塩を運ぶ途中、切通の途中にあった地蔵様に塩をお供えして旅の無事を祈ったそうです。

鎌倉で無事に商売を終えた後、帰る途中で再び地蔵様に立ち寄ってみると、行きに供えた塩がなくなっていたそうです。塩を地蔵が舐めたのではないかということから、塩嘗地蔵と呼ばれるようになった伝説が残ってます。小学校の時に授業でも習いました(鎌倉)。

塩嘗地蔵は、十二所にある光触寺に現在は安置されています。

 

朝比奈側の出入口にあった朝夷奈切通の案内です。

 

切通しの途中にある熊野神社は鎌倉の鬼門の守りとして祀られたのをみると、結構歴史ある神社みたいです。

また、鎌倉七口の中で最も高く険阻な路とあります。

 

朝夷奈切通を歩く

朝夷奈切通を朝比奈側から入って十二所の出口まで実際に歩いてみます。

朝比奈側の入口です。前方には横浜横須賀道路が通ってます。

 

朝夷奈切通の道はこんな感じです。途中には脇道がいくつもあります。

 

朝夷奈切通は、鎌倉七口の中で最も当時の面影を残しているといわれてますが、ここなんてそれっぽい雰囲気があります。

 

数分歩いた先には分かれ道があります。そのまま真っすぐ行けば鎌倉の十二所、曲がると「熊野神社」があります。

 

途中にはやぐらや摩崖仏のようなものがあります。

山頂付近にある岩を削って作ってある仏像です。

 

朝比奈から15分くらいあるけば十二所側の出入口に出ます。

十二所側は足元がぬかるんでいるので、スニーカーが安全です。

 

出口手前にある三郎の滝です。

朝夷奈切通は、朝夷奈三郎義秀が一夜にして切り開いたという伝説があります。

 

出入口付近にある朝夷奈切通の事績です。鎌倉各所に事績が設置されてるので、鎌倉には事績めぐりをする人がいます。

鎌倉七口の一にして鎌倉より六浦へ通ずる要衝に当り、大切通、小切通の二つあり土俗に朝夷奈三郎義秀一夜の内に切抜たるを以て、其名ありと伝へられるも、吾妻鑑に仁治元年11月、鎌倉六浦間道路開鑿の議定あり。翌二年(1241)4月、経営の事始ありて執権北条泰時、其所に監臨し、諸人群集し、各土石を運びしこと見ゆるに徴し、 此切通は即ち当時に於て開通せしものと思料せらる。

 

朝夷奈切通の出入口です。右は十二所果樹園、左は金沢街道に出ます。

 

十二所果樹園

 

「太刀洗水」

梶原景時が、上総広常を謀殺した後、この湧き水で太刀を洗ったという言い伝えがあります。

 

砂利道を金沢鎌倉線に向かっていくと、やがて住宅街に出ます。

 

熊野神社

熊野神社は、切通の途中にある分かれ道を進んで行くとあります。

アクセスが悪いためか、訪れる人は少ないです。

分かれ道に案内板があります。

「古傳に曰く、源頼朝鎌倉に覇府を開くや朝比奈切通の開鑿に際し、守護神熊野三社大明神を勧請せられしと、元禄年中地頭加藤太郎左衛門尉之を再建す。」

鎌倉から横浜方面は、鬼門にあたるとされていて、富岡八幡宮や弘明寺にも同様の記述があります。

 

熊野神社へ続く道です。途中でタイワンリスをやたらと見かけました。

 

道なりに進んで行くと踏み固められたように歩きやすい道が現れます。

 

急に階段が現れたのでびっくりました。外国人受けは良さそうな神社です。

 

熊野神社の拝殿です。

 

階段をさらに上った先に本殿があります。

 

交通アクセス

・所在地 神奈川県横浜市金沢区朝比奈町峠坂1番地

 

・アクセス 京浜急行線「金沢八景駅」からバスに乗車し、「朝比奈」バス停で下車

金沢八景駅から「鎌倉行き」「三信住宅行き」「大船行き」のいずれかのバスに乗る

 

 

朝夷奈切通まとめ

・朝夷奈切通の先には鎌倉の外港だった六浦があった。

・執権北条泰時が指揮をとって工事を行ったという言い伝えがある。

・鎌倉と六浦をつなぐ道は塩の道でもあった。

・鎌倉七口の一つにあたり、古い時代の面影を残している。

・朝夷奈切通には、和田義盛の子・朝夷奈三郎義秀が一夜にして切り開いたという伝説がある。

・途中の岐れ路を進むと熊野神社がある。

・アクセスが悪いから訪れる人は少なめ。

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おぐに

歴史と旅が好き。休みの日は、ツーリングや観光していることが多いです。

神奈川県の観光地を紹介していく予定です。

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