鎌倉の寺は山と緑に囲まれてるのが特徴だが、「光明寺」は海が近いせいか他の寺とは少し違う印象を受ける。
光明寺がある場所は、海が近く、寺域も広々としてゆったりしている。
特に山門と本堂は、鎌倉最大規模の大きさを誇るといわれ、鎌倉で唯一の大名の菩提寺としての格式もある。
光明寺の裏山からは、海が広がり、江の島も見える。冬場の晴れた日には、雪をかぶった富士山が見えることもあって、光明寺裏山は「かながわの景勝50選」にも選ばれている。
目次
光明寺の概要
・宗派 浄土宗
・山号寺号 天照山蓮華院光明寺(てんしょうざんれんげいんこうみょうじ)
・創建 寛元元年(1243)
・開山 然阿良忠上人(ねんなりょうちゅうしょうにん)
・開基 北条経時(ほうじょうつねとき)
『材木座に所在する光明寺は、江戸時代には浄土宗関東十八檀林の第一位として格付けされた格式の高い寺院です。開山は記主禅師然阿良忠開基は鎌倉幕府の第四代執権北条経時で、仁治元年(1240)鎌倉に入った良忠のために、経時が佐助が谷に寺を建てて蓮華寺と名付け、それが寛元元(1243)に現在地に移り光明寺と改められたと伝えます。
元禄十一年(1698)建立の本堂は、国指定重要文化財。また、弘化四年(1847)建立の山門は、県指定重要文化財。ことに本堂は、鎌倉で現存する近世仏堂のうちでも最大規模を誇ります。当寺は今なお、建長寺、円覚寺と並ぶ壮大な伽藍を構成しています。
十月十二日から十五日の間に行われる「十夜法要」の行事は今でも、夜市がたち大勢の人で賑わいます。』
光明寺は、磐城平城主(日向延岡に転封)内藤家の菩提寺でもある。
内藤忠興が、17世紀になってそれまでの菩提寺であった霊巌寺から光明寺に移したといわれている。
本堂の裏の庭園では、夏になると大賀蓮の花で池が埋め尽くされ、「観蓮会」が催される。
光明寺へのアクセス
・神奈川県鎌倉市材木座6丁目17−19
・車 横浜横須賀道路「朝比奈インター」で鎌倉方面へ
・交通機関 JR横須賀線「鎌倉駅」東口から7番線のバスで小坪経由逗子駅行きに乗り、光明寺前で下車
光明寺バス停で下車して、光明寺へ歩くと、「総門」が見えてくる。
「浄土宗 大本山 光明寺 案内図」 大本山というのは、お寺の格付けのこと。
駐車場と駐輪場は、総門の左の道を進むとある。
光明寺境内
総門入ってすぐの場所から撮影した「山門」。大名の菩提寺にふさわしく、ゆったりとして大きい。
ちなみに駐輪場は、写真の左辺りにある。
山門は、鎌倉最大の規模で、建築は和洋と唐様の折衷様式である。
「天照山」の扁額は、永享八年(1436)の後花園天皇の直筆だそうだ。
山門をくぐった先にあるのが「本堂(大殿)」だ。本堂はあがることができる。
本堂には、本尊の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が安置されている。
本堂は、鎌倉一の大きさを誇る。
本堂の左側には、小堀遠州の流れをくむ蓮池の記主庭園がある。
光明寺の鐘楼。
佐助稲荷を勧請したという「繁栄稲荷大明神」もある。
善導大師像。善導大師は、中国の唐で活躍した浄土教の高僧で、法然上人は善導大師の教えによって浄土宗を開いたそうで、良忠上人も厚く敬ったとか。
「開山堂」は、寺の開山の良忠上人の尊像と歴代の住職が祀られている。
記主庭園では、夏になると池が蓮で満たされる。
「大聖閣(たいしょうかく)」の二階には、阿弥陀三尊が安置されており、尊顔を拝すことができる。
光明寺裏から見た内藤家歴代の宝篋印塔
光明寺は、鎌倉で唯一の大名家の菩提寺になっている。
磐城平城主の内藤家の菩提寺となっていて、歴代当主のお墓がある。
裏にまわれば、100以上の宝篋印塔を見ることができる。
これだけの規模になると全国的に珍しいようで、市の指定史跡にもなっている。
光明寺裏山の展望
一度、光明寺を出て小坪方面に進み、第一中学校入口を進んでいくと、光明寺の裏側に出る。
「かながわの景勝50選 光明寺裏山の展望」の石碑は、鎌倉市立第一中学校の前にある。
石碑から光明寺方面を眺めてもフェンスや木が邪魔で何も見えない。
かながわの景勝50選の石碑を越えてもう少し進んでいくと、展望台のようなものがある。
展望台からは、冬で天気が良ければ雪がかかった富士山を拝むことができる。
日が沈む時間なら夕日で富士山のシルエットが浮かび出されることもある。
第一中学校の横には、良忠上人の御廟へ続く「良忠上人御廟参道」がある。
光明寺まとめ
・光明寺は、浄土宗の大本山の寺格をもつ。
・光明寺の山門と本堂の大きさは鎌倉最大規模を誇っている。
・今も光明寺では「十夜念仏」がにぎやかに行われている。
・光明寺は、鎌倉で唯一の大名家の菩提寺だった。
・夏になると蓮の鑑賞会が行われる。
・光明寺裏山は、富士山が見える絶景ポイントとなっている