鎌倉市にある日蓮宗の寺院「長勝寺(ちょうしょうじ)」に行ってきました。
鎌倉から逗子にかけての一帯には、日蓮ゆかりの地が多いのですが、この長勝寺もその一つです。
長勝寺の名前の由来は、この地の地頭をしていた石井長勝(いしきながかつ)の名にちなみます。
石井長勝は、三浦氏の流れをくむ人物だったそうです。
鎌倉市内には、数多くの寺院があって観光名所となっていることが多いですが、この長勝寺もそうです。
ただ、私が長勝寺を訪れたときの印象は、どちらかというと田舎によくある檀家のための寺院かなという感じでした。
境内に入ると立派な5体もの像にびっくりさせられました。
境内にある法華堂は、室町時代に築造されましたが、鎌倉様式を取り入れているそうで、関東ではこの様式の建築物では最も古いそうです。
案内によれば、寺号は石井山といい、開山は日蓮上人とのことです。
石井山長勝寺の由来
長勝寺が建つ場所は、松葉谷の法難で有名な松葉ヶ谷付があった辺りです。
伊豆に流された日蓮は、そのあと鎌倉に戻り、松葉ヶ谷村の地頭を務めていた石井長勝の邸内に入ります。
日蓮を保護した石井長勝は、法華堂を建てて日蓮に寄進したとされ、この法華堂が長勝寺の発祥といわれています。
長勝寺の本堂と四天王像
長勝寺は、京都本圀寺がもとあった地とされており、貞和元年(1345年)本圀寺が京都に移った後、この地に日静(にちじょう)上人が石井山長勝寺として再興したそうです。
石井山長勝寺(せきせいざんちょうしょうじ)
宗派 日蓮宗
創建 弘長3年(1263)
開山 日蓮上人
開基 石井長勝
境内の階段を上ったところにある法華堂は、県の指定重要文化財になっています。
本堂の手前、左にある階段の上には法華堂があります。
本堂の前には日蓮上人の銅像が立ち、日蓮上人を囲むようにして四天王の像が立っています。
この日蓮の像は、鎌倉で辻説法を行っていた頃の日蓮を表現しているそうです。
辻説法をする日蓮上人の像
長勝寺では、毎年2月11日に、國祷会(こくとうえ)といわれる荒行が行われます。
國祷会では、修行僧が厳しい寒さの中、冷や水を浴びます。この日は多くの人が荒行を見に訪れます。
鎌倉市の長勝寺案内板
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松葉ヶ谷の法難
建長5年(1253)に鎌倉に入った日蓮は、松葉ヶ谷に庵を構え、この庵を拠点に辻説法を行ったといわれています。
「日蓮上人辻説法跡地」
松葉ヶ谷に庵を構えて辻説法を始めてから数年、文応元年(1260)に日蓮が立正安国論を鎌倉幕府に提出します。
ところが立正安国論の内容が他の宗派を批判したものであったため、日蓮の庵は念仏信者たちに襲撃されてしまいます(松葉ヶ谷の法難)。
松葉ヶ谷の法難があった庵をめぐって長勝寺と妙法寺で争ったといわれていますが、結局どこに庵があったのかは不明のままです。
日蓮上人は、建長五年(1253)、安房(千葉県)から鎌倉に来て、松葉ヶ谷(現在の長勝寺、安国論時の辺り)に草案を結びました。
鎌倉時代、この辺りは武士の屋敷と商家町が混在した地域と考えられ、毎日のようにこの辺りを訪れて、法華経の功徳を説く辻説法を行ったと伝えられます。
文応元年(1260)、五代執権・北条時頼に提出した「立正安国論」が原因で、松葉ヶ谷の草案は焼き討ちされました。
日蓮像は高村光雲作
長勝寺にある日蓮像は、高村光太郎の父・光雲による作品です。
光雲は、上野恩賜公園に建つ西郷隆盛像の作者としても知られ、近代日本を代表する彫刻家です。
日蓮上人の像
そして、日蓮上人の像の周りには、像を囲むように四天王の像が立っています。
大増長天王
大広目天王
大毘沙門天王
大持国天王
長勝寺境内の様子
長勝寺の山門です。手前には駐車場があります。
長勝寺の山門をくぐって真っすぐ進むと本堂が見えてくるとともに、日蓮上人と四天王の像が現れます。
鐘楼の隣にある本師堂です。
この建物では、日蓮の遺歯を祀っているそうです。
長勝寺の所在地・アクセス
所在地 | 神奈川県鎌倉市材木座2丁目12−17 |
交通 | JR鎌倉駅東口3番バス乗り場から名越方面行きで「長勝寺」下車徒歩1分 |
Googleマップ
長勝寺には、駐車場があります。
長勝寺のまとめ
石井山長勝寺
長勝寺は、この地の地頭だった石井長勝が日蓮に帰依した際、法華堂を建てて寄進したことに始まる。
長勝寺の法華堂は、京都本圀寺の前身といわれている。
長勝寺では、毎年2月11日になると國祷会(こくとうえ)といわれる荒行が行われる。
本堂の前には、日蓮上人の像と四天王の像が立っている。
法華堂は、五間堂という鎌倉時代独自の建築様式を持っており、この形式のものでは関東最古である(鎌倉市HP)。