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横浜よりも歴史ある?横須賀市浦賀の「燈明堂」

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横須賀市浦賀の「燈明堂(とうみょうどう)」に行ってきました。

燈明堂の隣には、「燈明堂海岸」もあるなど、東京湾や対岸の房総半島も見渡せる風光明媚な場所でした。

浦賀は、三浦半島の東、東京湾に突き出たようにあることから、江戸時代に和式の灯台が設置されましたが、それが燈明堂です。

燈明堂入口のバス停から浦賀燈明堂までは、上の写真のような細い道を800mほど進んで行きます。

浦賀燈明堂概要

慶安元年(1648)、幕府の命によってつくられたのが、浦賀にある燈明堂です。

燈明堂は、日本式の灯台ですが、明治5年(1872)まで実際に使用されていたそうです。

 

燈明堂の背後にある「平根山台場」には、外国船に対する台場が築かれ、天保8年(1837)に日本人を送り届けに来航したアメリカ船モリソン号を砲撃したといわれています。

幕末には、海岸沿いに「千代ケ崎台場」が築かれて外国船に備えました。

 

燈明堂付近には、供養塔が立ち並んでおり、辺り一帯は浦賀奉行所の処刑場として、首切場とも呼ばれていたそうです。

 

燈明堂跡(浦賀燈明堂)の解説版

「復元なった浦賀燈明堂の建つこの場所は、江戸時代に浦賀港の入口、燈明崎に建っていた燈明堂の跡地である。

燈明堂は、今日の灯台のような役割をする航路標識の施設であった。燈明堂は慶安元年(1648)幕府の命によって、幕史石川六左工門重勝や能勢小十郎頼隆らが築遺したと伝えられている。石垣を土台として、上に2階建ての建物があった。階下は番人小屋で、階上は四方を紙張障子とその上に金網をめぐらしてあった。その中には、直径36.4センチ、深さ12.2センチの鋼製の大きな灯台皿が置かれ。一晩に灯台心百筋と菜種油1升が灯され、その光は4海里(7.2㎞)に達したという。

当初は勘定奉行の所管となっていたが、後に浦賀奉行所に所管替えとなり明治になり神奈川府の所管となった。経費は元禄三年(1690)までは徳川幕府が賄っていたが、同四年からは東浦賀の干鰯問屋が一切を負担するようになった。

明治五年(1872)4月に廃止になるまで、約220年間に渡って1日も休まず夜間の海上安全の守り役として活躍し、我が国の灯台史の上で極めて重要なものである。建物は明治20年代まで残っていたというが風雨で崩壊してしまい、一抱えもある大きな石で高さ1.8メートル、幅3.6メートル四方に組み合わされた「切り込みハギ石垣」だけが残された。

燈明堂跡は、大正13年3月国の史跡に仮指定されたが、太平洋戦争後解除され、昭和43年2月に市の史跡に指定された。この石垣を利用して、浦賀燈明堂が近代建築の技術の粋を結集して当時の姿そのままに復元された。

横須賀市教育委員会」

 

入口に立つ「横須賀市指定史跡 燈明堂跡」の表示板

燈明堂は、横須賀市の史跡として指定されています。

 

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地蔵菩薩像供養塔、題目碑、千代岬えい骨志碑

燈明堂附近には、地蔵菩薩像供養塔、題目碑、千代岬えい骨志碑が設置されています。

右から地蔵菩薩像供養塔、題目碑、千代岬えい骨志碑です。

この場所は、かつて首切場と呼ばれ、浦賀奉行所の処刑場があったそうです。

 

地蔵菩薩像供養塔は、此の地で処刑された人々を供養するために建てられました。

題目日には、「南無妙法蓮華経」の文字が刻まれてます。

千代岬えい骨志碑は、砲台を築く際に出てきた人骨について書いてあります。この辺りは、戦国時代に後北条氏と里見氏の戦場にもなっており、戦争で死んだ人の人骨ではないか……と見る人もいるそうです。

 

燈明堂

浦賀港の西にある燈明堂は、港に出入りする船にとって灯台の役目をしました。

慶安元年(1648)幕府の命によってつくられ、菜種油で灯された光は海上4海里(7.4km)を照らしたといわれています。

 

駐車場から2,3分歩けば燈明堂があります。

燈明堂に続く途中の道

 

浦賀燈明堂跡に設置されている復元された燈明堂です。

江戸時代につくられた燈明堂は、その後崩壊しましたが、石垣のみは残り、昭和63年(1988)に復元されました。

 

写真で見ると小さく見えるかもしれませんが、思ったよりは大きかったです。

 

三浦半島八景

燈明堂は、「灯台(燈明堂)の帰帆」として三浦半島八景の一つでもあります。

近くには、三浦半島八景の看板も設置されてました。

ちなみに他の三浦半島八景にどんなものがあるかというと……

・大塔(鎌倉宮)の夜雨

・神武寺の晩鐘

・猿島の晴嵐

・大佛の秋月

・城ヶ島の落雁

・長者ヶ崎の夕照

・建長寺の暮雪

があります。

 

金沢八景や逗子八景は、範囲が広いので半日もあればまわることも可能ですが、三浦半島八景はちょっと厳しいですね。

 

燈明堂の前からは、東京湾や房総半島を望めます。品川から浦賀までは電車で1時間ほどの近さですが、海の水はきれいでした。

 

訪れたのが5月だったので、自分以外には人がほとんどいませんでしたが、海水浴シーズンは賑わいを見せます。

 

ここからの直線距離だと、横浜よりも房総半島の方が近いです。

戦国時代は、房総の里見氏がたびたび船で攻めてきています。

 

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燈明堂へのアクセス

所在地 神奈川県横須賀市浦賀6丁目

浦賀駅からバスに乗り、「燈明堂入口」バス停で下車、バス停から徒歩10分

 

燈明堂には、近くに駐車場があります。

駐車場利用時間 午前8時から午後5時30分まで
利用料金 無料

看板をよく見ると、以前は1回100円だったようですが、現在は無料で利用できました。

 

燈明堂駐車場はこんな感じです。あまり広くはないので、夏はすぐに満車になりそうです。

 

燈明堂のまとめ

・浦賀の燈明堂は、江戸時代(1648)につくられた日本の灯台。

・観音崎に日本最初の洋式灯台が建設されたことで、燈明堂は役目を終えました。

・明治になって燈明堂は石垣のみを残して崩壊しましたが、昭和63年に復元されました。

・燈明堂の近くには、浦賀奉行所の処刑場があり、かつては首切場と呼ばれていました。

・燈明堂の海岸からは、東京湾と房総半島が一望できます。

 

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