名所

日本三大弁天「江島神社」は縁結びのパワースポット

投稿日:2018年1月18日 更新日:

江の島は、藤沢市の南の海に突き出たように浮かぶ島である。

この島は、古くから景勝地として有名なだけでなく、島全体が聖域だったことでも知られている。

風光明媚な江の島は、ドラマの撮影場所としても使われ、最近ではアジアからの観光客も多くみかける。

また、島の奥にある稚児ヶ淵は釣り場スポットであり、目の前で富士山が見える絶景スポットでもある。

江島神社は三人の女神さまを祀っている

江の島の奥にある岩屋洞窟は、古くから修行僧の修行の場であった。

江の島の西にある「稚児ヶ淵」と呼ばれる場所は、修行僧と少年の恋物語が名前の由来である。

 

江島神社の案内板によれば、欽明天皇が552年に東南の竜穴に宮を建てたのが江島神社の始まりだという。

欽明天皇は、聖徳太子よりも前の時代の天皇なのを考えると、江島の歴史は相当古いといえる。

 

江島神社では、「奥津宮」「中津宮」「辺津宮」の3姉妹の女神を祀っている

「江島神社全景絵地図」と社伝

欽明天皇の勅命によって、岩屋洞窟に神様を祀ったのが江島神社の始まりだという。

 

江島神社の赤い鳥居の横にある「江の島名勝図

江の島の観光案内所でパンフレットをもらうと島内を回るのに便利。

 

辺津宮

江島神社の赤い鳥居の階段を昇って行くと、一番最初に現れるのが「辺津宮(へつのみや)」だ。

「辺津宮」は、建永元年(1206)に、源実朝によって創建され、江の島で一番下に位置していることから「下之宮」とも呼ばれた。

現在の社殿は、昭和五十一年(1976)に新築されている。

 

「辺津宮」の鳥居。

 

辺津宮。 辺津宮に八角形のお堂「奉安殿」がある。

「結びの樹」と呼ばれるご神木は、縁結びのパワースポットのようだ。

 

中津宮

中津宮(なかつのみや)」は、仁壽三年(853)に慈覚大師(じかくだいし)によって創建された。

現在の社殿は、平成八年に改修されたもので、昔は上之宮と呼ばれていた。

社伝の脇には、水琴窟を構えた庭園がある。

 

中津宮 

中津宮の案内板

市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀っている。

幣殿・拝殿の天井には花鳥図や彫刻がされていて、参道には石灯篭がある。』

 

奥津宮

奥津宮(おくつのみや)」では、三姉妹の長女である多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)が祀られている。

 

養和二年(1182)に、源頼朝によって奉納されたと伝わる鳥居。この鳥居の奥に見えているのが奥津宮。

 

奥津宮は、昔は本宮と呼ばれていた。

拝殿の天井には「八方睨みの亀」が描かれている。

天保十二年(1841)に社殿は一度焼失したが、翌年再建され、昭和五十四年には屋根が修復され、平成二十三年に本殿が百七十年ぶりに修復された。

 

 

他の名勝

江の島の島内には、他にも名勝がいくつもある。

江の島の中には、いろいろな花が植えてある。

 

「亀ヶ岡広場」は、眺めがよく、海や富士山、江の島展望台が見える。

広場には、売店やベンチがあり、人気のたこせんべいも販売していた。

亀ヶ岡広場からは、無料のイルミネーションを見ることができるのでおすすめ。

 

写真中央に見えるのが富士山。

 

「山二つ」 江の島をちょうど二分する境となっていることから、この場所h山二つと呼ばれている。

 

「恋人の丘 龍恋の鐘」 ドラマの撮影場所にもなった。

江の島にいた五頭龍は、日頃から悪行を繰り返していたが、江の島に降り立った弁財天を見て恋に落ちる。五頭龍は弁財天に求婚するも、断られてしまう。心を入れ替えた五頭龍は、やがて人々に感謝されるようになり、弁財天とも結ばれて最後は龍口山になったという。

 

日露戦争の英雄である児玉源太郎を祀っている。「児玉神社」は、勝ち運のご利益があるという。

 

奥津宮の隣にある「龍宮(わだつみのみや)

 

龍宮の案内板

『江の島は湧出以来龍の棲む所と言われ、古来より龍神は弁財天信仰と習合し、密接な結びつきから江島縁起を始め多くの伝説が残っている。

「太平記」には時の執権、北条時政が江の島に参籠して子孫の繁栄を祈った時に、龍(大蛇)が現れ三つの鱗を落とせり、時政祈願成就とよろこびその三鱗を授かり家紋となす。

或るは北条貞時が悪夢を見、龍池に赴くと金銅の龍頭を見たと或るは「足利治乱記」には海に夜毎光ありて白龍長さ甘丈許(約六十米)なるが海中より出て、絵島石穴に飛入るを諸人多見之と、謡曲「江ノ島」には天女が龍神と姿を現じて、七難即滅七福即生悪事災難を払ひて諸願成就を宣う御声も新たに聞こえとある。

 

伝記には多く残されており、この神秘なる趣意を鑑み平成六年九月吉日に当社発祥地たる岩屋洞窟の真上に御鎮座となった。』

 

稚児ヶ淵

江の島の最西端にあるのが「稚児ヶ淵」である。

稚児ヶ淵からの景勝は、「かながわの景勝50選」に選ばれており、この場所からは天気次第で富士山が見える。

また、釣りスポットとしても知られているため、週末は多くの釣り人で賑わう。

 

 

稚児ヶ淵の由来

昔々、鎌倉の建長寺に自休という僧がいた。

自休が、江の島へ百日詣に出かけた際、鎌倉の鶴岡相承院で学問を学んでいる白菊という稚児(少年)に出会う。

自休は、白菊を一目見て恋に落ち、その日から白菊のことが頭から離れず、白菊のいる相承院まで足を運んでは手紙を何度も白菊に送った。しかし、白菊の返事はなかった。

白菊に対する思いを募らせる自休に対して、白菊は次第に追い込まれていった。窮した白菊は、江の島に渡り、島の渡し守に「白菊を忍ぶ里の人とはば 思い入り江の島とこたへよ  うきことを 思い入り江の島かげに すてる命は波の下草」と書いた扇子を渡して海に身を投げてしまった。

自休は、白菊の残した扇子を見た後、「白菊の 花のなさけのふかき海に ともに入り江の島ぞうれしき」と言い残して後を追ったのである。

大正の頃までは、この地に白菊の碑があったそうだ。

 

 

「稚児ヶ淵・永瀬覇天朗の句碑」

 

「かながわの景勝50選 江の島稚児ヶ淵」の石碑は、階段を下りた先の岩場の脇にある。

 

干潮のときは、岩場遊びをしている親子も多い。

干潮の時は、辺りを歩くことができる。

 

満潮の時は、岩場の大半が海水の下になる。稚児ヶ淵は、富士山が見える絶景ポイントになっている。

天気次第で丹沢や伊豆の山々も見える。

 

入口には、芭蕉の句碑・佐羽淡斉の詩碑・服部南郭の詩碑がある。

稚児ヶ淵の奥には、岩屋洞窟がある。

 

江島神社へのアクセス

住所 神奈川県藤沢市江の島

アクセス 小田急江ノ島線「江ノ島駅」から徒歩15分~20分

 

 

江の島に向かう国道134号線は常に渋滞している。

 

江の島には、有料の駐車場がある。なぎさ駐車場は、駐車料金は2時間まで620円、その後30分ごとに200円かかる。

目の前や奥にも駐車場がある。

 

無料のバイクスペースと自転車置き場もある。

 

 

  • この記事を書いた人

おぐに

歴史と旅が好き。休みの日は、ツーリングや観光していることが多いです。

神奈川県の観光地を紹介していく予定です。

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