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鎌倉五山第三位の寿福寺と美しい参道

投稿日:2018年1月24日 更新日:

鎌倉幕府が定めた鎌倉五山のうち、第三位の格式を持つのが鎌倉市扇ガ谷にある「寿福寺」である。

寿福寺が建っている地は、源氏とゆかりのある場所で、境内裏の墓地には北条政子と源実朝の墓といわれている五輪の塔もある。

また、陸奥宗光、高浜虚子といった著名人の墓もある。

鎌倉五山の概要

鎌倉五山は、鎌倉幕府の執権である北条時頼から始まったという。

鎌倉時代の臨済宗の寺院を格付けする制度で、中国の五山がもとになっているといわれている。

 

どの寺院が五山に選ばれるかは、時代によって変わり、現在の順位になったのは足利義満の時といわれている。

足利義満の時代には、五山は鎌倉五山と京都五山に分かれていたという。

また、五山の上に「南禅寺」が置かれ、五山の下には十刹(じっさつ)、諸山(しょざん)がある。

 

鎌倉五山には、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の五つの寺院があり、格付けは一位・建長寺、二位・円覚寺、三位・寿福寺、四位・浄智寺、五位・浄妙寺の順番になっている。

赤い丸が鎌倉五山茶色で四角に囲んであるのが駅

鎌倉五山を観光でまわる場合は、離れている浄妙寺がポイントになりそう。

浄妙寺の近くには、ミシュランで三ツ星を獲得した報国寺がある。報国寺は竹の寺としても有名だ。

 

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寿福寺のある地は源氏ゆかりの地

鎌倉五山第三位の寿福寺は、山号を亀谷山(きこくさん)、寺号を壽福金剛禅寺(じゅふくこんごうぜんじ)という。

つまり、亀谷山壽福金剛禅寺というのが正式名称になる。

 

寿福寺のある地は、源頼朝の父義朝の屋敷があったとされている。

寿福寺の裏には、源義家が後三年の役に臨む際に戦勝を祈願したとされる源氏山があり、源氏山は源氏ゆかりの地である。

源頼義が前九年の役で勝利した後、鎌倉に立ち寄り京都の石清水八幡宮を勧請した。そして、頼義の子の義家が鎌倉の八幡宮の社殿を修築したのが源氏が関東に勢力を広げるきっかけとなったといわれている。

 

寿福寺は、正治2年(1200)に明菴栄西(みょうあんえいさい)を開山に、源頼朝の妻・北条政子によって建立された臨済宗建長寺派の寺院である。

鎌倉市による寿福寺の案内板

『源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明菴栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。鎌倉幕府三代将軍の源実朝も、再三参詣しました。

栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で、『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。

裏山の「やぐら」(中世の横穴墳墓)には、源実朝、母・政子の墓といわれる五輪塔があります。

墓地には、俳人・高浜虚子や作家・大佛次郎などが眠っています。』

 

 

神奈川県教育委員会の寿福寺案内板

『亀谷山寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)は、正治二年(1200年)に頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺であります。

この地は、もと源頼朝の父義朝の館があったといわれ、鎌倉入りした源頼朝はここに館を造ろうとしましたが、岡崎義実が義朝の菩提をを弔うお堂を建てていたのでやめたといもれています。墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。

現在伽藍は外門、山門、仏殿、鐘楼、庫裡などですが、外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂(ただよ)い、また仏殿前に四株の柏槙があり、往時のおもかげを残しています。』

 

 

「壽福金剛禅寺」の総門 総門の手前には五山塔と石柱がある。

 

寿福寺総門の横には、源実朝をしのぶ石碑が建っている。寿福寺の裏には、源実朝の墓といわれる石塔がある。

 

美しい石の参道

寿福寺の総門をくぐると、とても美しい石畳の参道が現れる。

旅雑誌などでは、鎌倉一美しい参道と紹介されているのを見かける。

 

参道を歩いて行くと、突き当りにあるのが「中門」だ。

寿福寺は、一般公開していないが、正月などの一定期間だけ特別公開していることがある。

 

仏殿」には、釈迦三尊像が安置されている。

 

寿福寺の鐘楼

 

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北条政子の墓

寿福寺の横から行ける道を通って民家を抜けると、北条政子や源実朝をまつる石塔がある。

源実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で、兄の頼家が比企氏の乱に加担して追放されると、兄の跡を継いで征夷大将軍になった。

しかし、翌年に頼家の息子・公暁によって暗殺され、以後の将軍家は京都の公家から迎え入れることになる。

 

実朝の石塔前にあった「史跡 寿福寺境内」の碑。

 

入口には、北条政子の墓と書いてあった。

 

鎌倉幕府三代将軍の源実朝の墓。墓というより供養塔に見えた。

 

寿福寺へのアクセス

住所 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7

交通 JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩10分

 

寿福寺の裏からは、源氏山公園に行くことができる。

途中には、一人しか通れないような場所もある。

 

道の途中には、太田道灌の墓があった。

 

太田道灌は、この地で生まれ、扇谷(おうぎがやつ)上杉家の家宰(家を取り仕切る人)として活躍した。

近くには太田道灌の曾孫が創建した現在の鎌倉で唯一といわれる尼寺英勝寺がある。

 

まとめ

・寿福寺は、鎌倉五山第三位の格式をもつ臨済宗建長寺派の寺院である。

・源頼朝夫人の北条政子によって1200年に創建された。

・寿福寺が建てられた地は、源氏ゆかりの土地であり、元は頼朝の父義朝の屋敷があった。

・寿福寺には、美しい石畳の参道がある。

・仏殿は、普段は一般公開しておらず、正月などの一時期に限って公開することがある。

・境内裏には、政子と源実朝の供養塔があり、他にも陸奥宗光や高浜虚子といった著名人のお墓がある。

 

  • この記事を書いた人

おぐに

歴史と旅が好き。休みの日は、ツーリングや観光していることが多いです。

神奈川県の観光地を紹介していく予定です。

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