名所

鎌倉の象徴的存在「高徳院」の大仏さま

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各寺院で拝観料の値上げラッシュが起きていますが、鎌倉の大仏様で有名な高徳院でも2019年9月から拝観料が値上がりするそうです。

 

高徳院の大仏は、外国からの観光客にも人気です。

大学生の頃に訪れた時の話ですが、東南アジアからの観光客の中には大仏の前に土下座して礼拝する人を見かけました。

 

高徳院は今までに何度か訪れていますが、境内はいつも混雑しているので、今回は開門時間と同時に入れるよう、早起きして朝から行ってきました。

国宝鎌倉大仏について

高徳院の正式名称は、大異山高徳院清浄泉寺(だいいざんこうとくいんしょうじょうせんじ)といいます。

高徳院の大仏像は、国宝に指定されています。

 

鎌倉の大仏は、1238年頃に浄光という僧が庶民から資金を集めて木像の大仏を造ったことが始まりと史料にあります。

初めは木造だった大仏でしたが、宝治元年(1247)に大嵐によって倒れてしまい、建長四年(1252)に青銅の釈迦如来像が造られました。

しかし、今の大仏は釈迦ではなくて、阿弥陀如来です。これについては史料が誤っているという説と書き換えられたとみる説があります。

 

国宝鎌倉大佛因由

「この大仏像は阿弥陀仏である。

源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進して造った。

零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。

初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し六年間で完成したが、宝治元年(1247)大風で倒れたので、再び資金を集め、建長四年(1252)に至って現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置した。

原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右エ門や丹治久友の名が伝へられる。

大仏殿は建武元年(1334)と慶安二年(1369)とに大風に倒れ、その都度復興したが、明應七年(1498)の海潮に流失以来は復興せず、露像として知られるに至った。

大正十二年(1923)の大地震には台座が崩れ、仏像は前に傾いたが倒れなかった。

大正十四年(1925)台座を補強し、仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復がなされた。

昭和三十五、三十六年(1960~61)の修理では、前傾している頭部を支える頸部の力を、強化プラスチックで補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、台座と佛体が離れる免震構造が施された。

この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、日本の文化財としては最初のものである。」

 

鎌倉大仏データ

総高(台座共) 13.35m

青銅佛身高 11.33m

面長 2.35m

眼長 1.0m

眉長 1.24m

口広 0.82m

耳長 1.9m

重量 121トン

 

 

国宝 銅造阿弥陀如来坐像 昭和33年2月8日指定

国指定史跡 鎌倉大仏殿跡 平成16年2月27日指定

「高徳院本尊の「銅造阿弥陀如来坐像」は鎌倉大仏とも呼ばれ、国宝に指定されています。日本有数の銅像大仏で、建長4年(1252)に鋳造を始めたと史料にみえる「金銅八丈釈迦如来像」がこの大仏であるとされています。完成時期はわかっていませんが、文永5年(1268)ごろまでには大仏殿も建てられていたと考えられ、管理していた寺院は大仏殿、大仏寺、鎌倉大仏寺などと呼ばれていました。大仏殿は災害により何度か倒壊し、その度に大仏の修理が行われたようです。

境内では平成12年(2000)と13年(2001)に発掘調査が行われ、桁行(横)145尺(約44m)、梁行(縦)140尺(約42.5m)を測る五間裳階付の大仏殿であったことがわかりました。また、中世の瓦が出土しないことから、大仏殿は瓦葺きではなかったと推定されています。このほか、大仏に向かって斜めに高くなるよう堆積している地層が確認されており、大仏の鋳造過程を示すものと考えられます。

大仏は15世紀以降、現在と同じように露座となり、相次ぐ災害によって荒廃しました。高徳院は、正徳2年(1712)に増上寺の祐天上人、浅草の商人・野嶋新左衛門らが大仏の復興を発願して建立した寺院です。復興された大仏の開眼供養は、元文2年(1737)に高徳院住職の養国上人によって行われ、今に至っています。」

 

宗旨 浄土宗

宗祖 法然上人

開宗 承安五年(1175)

称名 南無阿弥陀仏

 

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国宝鎌倉大仏の見どころ

高徳院の見どころは、何といっても本尊の大仏様です。

仏殿は15世紀に起こった津波によって流されてしまったと伝わっており、それ以来というもの大仏様は屋天に座っています。

 

仁王門前にある境内図、境内図は拝観料を支払って中に入った場所にもあります。

 

いつも混雑している高徳院も、開門5分前に到着したのでガラガラでした。

高徳院の仁王門です。左右には2体の像が立っています。

 

 

こちらの門は閉ざされていて、この門の横にある入口で拝観料を支払って入ります。

 

いつも混雑している週末ですが、開門して直ぐには入れば人が少ないのでゆっくり見れます。

 

大仏殿が流されて以来、本尊は露座しているので色あせてますが周りの緑とマッチしています。

近くで見る大仏は迫力があります。

 

背後から見た大仏様です。結構猫背だったりします。

 

本尊の大仏様がある裏には観月堂があり、ここには江戸幕府二代将軍である徳川秀忠の聖観音像が安置されているそうです。

 

観月堂の近くには与謝野晶子の歌碑が建っています。

「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」 晶子

 

シャム(現タイ王国)のプラチャティポック国王陛下(ラーマ7世)がお手植えされたという松がありましたが、惜しくも2009年9月に枯死してしまいました。

この松の木は、代替木になります。

 

大仏の胎内へ

鎌倉の大仏は、20円を支払えば胎内に入ることができます。

内側を見るだけですが、なかなかない体験ができるので入ってみることをおすすめします。

 

胎内の説明

鎌倉大仏は、鎌倉時代の中頃に作られました。今から750年も前のことで、当時の驚くべき高度の技術を駆使した造像技法が見れます。

「像が大きいので、30回以上に分けて鋳造しているのですが、内壁の大きな格子模様は、そのために鋳型を多数並べ、重ねたことを示しています。そして、分けて鋳造した個所を強固に鋳継ぐために、「鋳繰り(いからくり)」という他に見られない技法が使われています。」

 

胎内を拝観できるのは、午前8時から午後4時20分までの間となっており、拝観料20円で中に入れます。

 

内側から見た大仏様、30回以上に分けて鋳造されたのが分かります。

穴が開いている場所は頭部です。

 

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高徳院へのアクセス

高徳院へは駅からバスで行く方法と徒歩で行く方法があります。

住所 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2−28
交通 江ノ島電鉄「長谷駅」徒歩7分、
またはJR「鎌倉駅」からバスに乗って「大仏前」バス停下車
拝観時間 4月~9月:午前8時~午後5時30分、10月~3月:午前8時~午後5時

鎌倉駅東口からバスだと結構距離があるので、道路の混雑状況によっては10分以上かかることも多いです。

 

 

高徳院の前の通り

 

入口を入って右に自転車と原付の置ける駐輪場があります。

自動車の場合は、道路を挟んだ反対側に有料駐車場があります。

有料駐車場の相場は30分あたり300円程度です。

 

まとめ

・高徳院は正式には大異山高徳院清浄泉寺といい、大仏様は阿弥陀如来坐像です。

・大仏様はもともとは大仏殿に安置されていましたが、災害などによって大仏殿が倒壊してしまい、以来露座することになったそうです。

・大仏様の胎内は、20円の拝観料で見学することができます。

 

  • この記事を書いた人

横浜ライフプラン

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