横浜市磯子区にある岡村公園と岡村天満宮に行ってきました。岡村公園と岡村天満宮は隣接してます。
岡村公園や岡村天満宮の前にある天神道路は、大正時代から始まる岡村天満宮の参道の別名です。
天神道路は抜け道として日頃から利用されており、岡村公園は梅林が有名なので寄る人も多いと思います。
私も天神道路は毎週のように通りますが、岡村天満宮は数回しか訪れたことがありません。
岡村公園付近は、昔は梅林の景勝地として知られた場所で、「天満宮の梅林」と呼ばれて親しまれていたといいます。
国道16号線や鎌倉街道といった大きな通りから離れた住宅地にあり、抜け道通り沿いにひっそりとある印象の天満宮ですが、かつては鶴岡八幡宮に匹敵するような神殿を建てる計画もあったそうです。
岡村公園
岡村公園案内図
岡村公園の中央を通る天神道路は、抜け道として利用する人も多い道路です。
西側には多目的広場と梅林があり、東側には野球場、テニスコート、遊具広場があります。
多目的広場では、少年野球をやっていることが多いです。
岡村梅林入口
岡村公園野球場
岡村公園テニスコートは、いつも賑わってます。
岡村出身のミュージシャン、ゆずの木が植えてあるのは野球場の南辺りです。
ゆずの樹は、ゆずのデビュー20周年を記念して2017年6月3日に植樹されました。
岡村梅林
岡村の梅林は、天満宮の梅林として杉田梅林と並ぶ梅の景勝地でした。
戦国時代に北条氏の下で杉田の領主となった間宮氏(間宮林蔵の先祖?)は、久良岐郡を支配した玉縄の北条氏の家老として活躍しました。北条氏が秀吉に敗れた後は徳川家に仕えて杉田を治め、当時貧しかった杉田の領民に梅の実の栽培をさせたのが杉田梅林の始まりだそうです『磯子の史話』。
杉田梅林は、江戸時代には3万本を超える数の梅の木があったそうですが、塩害や老衰、宅地造成等によって今では見る影もありません。
岡村の梅林も縮小されてしまいましたが、今も150本の梅が植えてあるので季節の変化を楽しむことは出来ます。
今ある岡村梅林は昭和55年に開園し、平成6年3月13日に第一回の梅まつりが開催されました。
今年はコロナで自粛モードですが、岡村梅林は今年も見事な梅が咲いています。
岡村梅林マップ。梅林としてはあまり広くありません。階段を上った先に絶景ポイントがあります。
1月下旬に訪れた時は、ほとんど咲いておらず、1、2本のみ咲いてるだけでした。
2月中旬に訪れた時は、3,4割の梅の木が咲いてました。
白梅が多めです。
岡村天満宮
岡村天満宮の歴史は古く、創建は鎌倉時代初期ともいわれています。
「岡村の天神さま」として、土地の人々から親しまれてきました岡村天満宮の創立年代は不詳ですが、縁起によると鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に源頼朝の家臣が京都の北野天満宮の分霊をいただいて、この地に社を創建したといいます。明治43年、杉山神社と大神宮を合祀して、杉山天満宮と称するようになりましたが、昭和5年、永らく親しまれてきた町名をとって、岡村天満宮と改称しました。
大正期には、元町薬師、野毛山不動とともに三大縁日としてにぎわいました。境内には、「撫でれば患部の苦痛が除かれる。」という石の牛像を始め筆塚、針塚などや、大正の頃ハマッ子に親しまれた大阪役者『市川荒二郎』らの寄進した石灯篭もみられます。
また、この神社ゆかりの横浜人形「西瓜天神」や絵馬は特色のあるものです。
社団法人横浜国際観光協会 横浜市教育委員会文化財課
この時代の岡村周辺の武士といえば、平子氏(たいらこし)がいます。
平子氏は、岡村、滝頭、蒔田、永田、中村、横浜、本牧といった久良岐郡全域を支配していたといわれています。
岡村天満宮も平子氏によって創建されたという説が有力のようです。
その後、伊勢氏(後北条氏)の相模進出によって平子氏は歴史から姿を消してしまいました。
岡村交番の交差点にある岡村八幡宮の鳥居
日露戦争の勝利を記念して、翌年に建てられたという二の鳥居です。
岡村天満宮の本殿
菅原道真の没後1100年の御神忌祭で奉納されたという牛像
伊勢佐木町にあった松坂屋の閉店により、移設されたゆずの壁画です。ゆずの一人はここの幼稚園出身だそうです。
岡村公園・岡村天満宮のアクセス
岡村公園 | 神奈川県横浜市磯子区岡村2丁目17−1 |
岡村天満宮 | 神奈川県横浜市磯子区岡村2丁目13−11 |
岡村公園駐車場料金:2時間300円、以降20分50円
岡村公園マップ
おわりに
普段何気なく前を通ってる岡村公園と岡村天満宮でしたが、意外な歴史があるものでした。
特に戦前に鶴岡八幡宮に匹敵するような社殿を建てる計画があったなんて地元の人くらいしか知らないのではないでしょうか。
参考文献
磯子の歴史
蒔田の吉良氏ー戦国まぼろしの蒔田城と姫君ー