小田原の曽我梅林と見晴台からの眺めが壮観!

投稿日:2021年3月6日 更新日:

 

2021年の3月初めに小田原の曽我梅林と、その近くにある見晴台へ行きました。

ここ一週間天気が悪い日が続いたので、最近は朝起きると最初に天候を確認するのが日課になってました。久しぶりの快晴だったのを確認し、急きょ梅林を見に行くことにしました。

最初は横須賀の田浦梅林に行こうと思いましたが、毎年のように行ってるので、あまり行かない方面を探した結果、曽我梅林になりました。

 

曽我梅林は、「かながわの景勝50選」「かながわの花の名所100選」にも選ばれている景勝地です。

35000本の梅が栽培されている曽我梅林

曽我梅林は、関東でも有数の梅の名所として知られています。

原・中川原・別所の3つからなる梅林には、合わせて約35,000本の梅が栽培されています。

 

曽我梅林の歴史は古く、室町・戦国時代の後北条氏から始まったといわれています。

梅の実は戦陣用の食品だったので、領民に梅の木を植えさせることもあったようです。

江戸時代には、梅干しが小田原の名物となったようです。

 

曽我で生産される梅の多くは食用で、梅まつりではお土産用に梅干しを販売しています。

 

辺り一帯は見渡す限り梅の木が続きます。

横浜や横須賀の梅林には、しだれ梅も一本や数本ですが、こっちは見渡す限りしだれ梅といった感じです。

 

普通の白梅や紅梅もすごい数があります。

約35,000本の梅が栽培されているだけあって壮観です。横浜から片道4時間以上かかりましたが、来て良かったと思いました。

 

いろいろな梅が見れて満足です。

 

ちなみに曽我は、日本三大仇討ちの一つとして知られる曽我兄弟が育った場所なので、周辺には、曽我兄弟ゆかりの史跡がいくつかあります。

 

曽我梅林の交通アクセス

所在地 神奈川県小田原市曽我別所
電車 JR「下曽我駅」から徒歩20分

 

 

横浜から自転車で行く場合は、国道134号線を進むと、大磯で国道1号線と合流するので、そのまま国道1号線で小田原方面へ行きます。しばらく進むと親木橋の交差点に着くので、これを右折して数分で曽我梅林です。

国道134号線

 

長者町交差点で国道134号線から国道1号線へ

 

一帯が梅林になっていて、どこが入口なのか分かりませんが、左手に「かながわの景勝50選 曽我梅林」と書いた標柱があります。

この柱を入り、剱沢川の手前まで進むと右に「かながわの景勝50選」の碑があります。

「かながわの景勝50選 曽我梅林」の碑

 

見晴台からの眺め

曽我梅林の絶景を堪能したので帰ろうとしたところ、案内板で紹介されてたのが「見晴台からの眺め」です。

地図で見る限り意外と近いようなので、行ってみることにしました。

県道(松田国府津線)を越えると、いきなり急坂になります。

見晴台まで坂道は続き、途中の道は狭くなるので自動車だときついかもしれません。対向車が来たらかわすのは困難なくらい狭い道です。

ロードバイクでもきつい坂なので、バイクで来るのがベストだなと思いました。

 

軽自動車やオフロードバイクが欲しいと思うような激坂道でした。

 

見晴台は、20分くらい坂を上った先にあります。別所梅林からは1.7キロあります。

眼下には登ってきた坂道が見えます。

 

見晴台からは、小田原の市街地や箱根の山、丹沢、金時山、富士山を一望できます。

2月、3月なら曽我梅林の梅も咲き乱れています。

小田原城方面、相模湾も一望

 

写真だと分かりにくいですが、梅林の梅がすごいです。写真の下3分の1が梅林です。

 

曇で隠れてますが、富士山も見えます。

 

一本松と六本松跡

途中の案内表示には、この先に一本松と六本松跡という名所らしきものがあることが書かれています。

 

せっかくここまで来たので試しに行ってみることにしました。

 

見晴台から数分くらいで着いたのが一本松という場所です。

しかし、一本松どころか何もない……。

 

引き続いて六本松跡を目指すことにしました。跡ということは今は何もないということでしょうか……何だか嫌な予感がします。

 

狭い道を進んで行くのですが、途中の樹々の合間から見える眺めが素晴らしかったです。

 

一本松から数分で六本松跡の碑がある場所に着きました。

 

左が六本松跡の石碑です。

『古代千代台地は師長(しなが)国の府中で、この地方の文化の中心地であったので、西からの旅人は皆ここによって、この道を、目指す阪東や奥羽へと向かったと推定(弓削道鏡等)される。

その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、上洛や富士の巻狩などにこの道を通り、いまも鎌倉山、将軍山また豪族中村氏がお出迎えした所を「大迎え」などの地名が残っている。

また、この地の豪族が鎌倉に馳せ参じた鎌倉街道でもあり、阪東三十三番観音の五番勝福寺から六番長谷寺に詣る巡礼道でもある。

戦国乱世の頃、京の聖護院准后道興は「答えする 人こそなけれ 足曳の 山彦山は嵐吹くなり」。を詠み、降って元禄の頃、松尾芭蕉は「ほととぎす 鳴き鳴き飛ぶぞ いそがわし」。門人の白雄は「人の知る 曽我中村や 青嵐」、その後蕪村も「雨ほろほろ 曽我中村の田植えかな」と詠んだ。

この、六本松の地名となった最後の松の大樹は、明治の終わり頃惜しくも長い一生を終わっている。』

六本松跡案内板より

 

残念ですが、明治の終わりに最後の松もなくなってしまったようです。

 

見晴台のマップ

 

おわりに

今回訪れた曽我梅林と見晴台は、来年もまた来たいと思うほどの素晴らしい眺めでした。

写真では限界があるのでこの感動を伝えられないのが無念です。実際に足を運んで見たら何倍も感動できます。

かながわの景勝50選の中には、たいしたことないものも多いですが、ここは良かったです。

見晴台も曽我梅林からなら歩いて行ける距離(激坂)なので、梅林とあわせて訪れることをおすすめします。

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