鎌倉五山の「浄妙寺」と鎌足稲荷神社

投稿日:2020年10月27日 更新日:

鎌倉の「浄妙寺」と「鎌足稲荷神社」に行ってきました。

 

浄妙寺は、鎌倉市浄明寺にある鎌倉五山第五位の寺格をもつ寺院です。

この辺りの浄明寺という地名は、この浄妙寺にあやかって付けられましたが、浄妙寺の妙という字が地名だと明に変わります。

浄妙寺の一帯は緑にか囲まれた閑静な場所ですが、かつては関東の政治の中心地だったといわれてます。

 

鎌倉の名前の由来となった説はいくつかありますが、そのうちの一つが鎌足稲荷神社です。

浄妙寺の脇の道を上って行った先にひっそりとあるので、浄妙寺と一緒に見学しました。

鎌倉五山の第五位「浄妙寺」

浄妙寺は、鎌倉市浄明寺にある臨済宗建長寺派の寺院です。

山号を稲荷山といい、鎌倉五山の第五位の寺格をもつ古刹です。

 

浄明寺の境内マップ。本堂の裏にはガーデンテラスや鎌足神社があるので、敷地は思ったより広いです。

 

浄妙寺(じょうみょうじ)

・宗派 臨済宗建長寺派

・山号 稲荷山(とうかざん)

・建立 文治四年(1188)

・開山 退耕行勇(たいこうぎょうゆう)

・創建 足利義兼(あしかがよしかね)

源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利義兼が、退耕行勇を開山として建立しました。

行勇は、源頼朝や政子も帰依した高僧で、関東十刹の一つだった東勝寺の開山です。

足利氏は、源義国の次男義康が足利を称したことに始まる源氏です。足利義兼は頼朝の重臣の一人でしたが、御門葉(源氏一門)として扱われました。

 

創建が頼朝の重臣だった足利義兼だったので、足利氏とは縁が深く、足利尊氏の父貞氏の帰依を受けていたこともあって、室町時代に最盛期を迎えます。

至徳三年(1386)に足利義満が五山制度を定めた頃には、七堂伽藍が完備され、塔頭二十三院を有していたそうです。

その後、火災などの被害で衰退していき、現在では、総門、本堂、客殿、庫裏等が残っています。

 

滑川を挟んだ反対側には、ミシュランガイドで星を獲得している報国寺があります。

報国寺と一緒に見学するのがおすすめです。

 

浄妙寺の総門です。

 

初めは極楽寺と称した密教系の寺院でしたが、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の弟子の月峯了然(げっぽうりょうねん)が住職になった時に禅寺となりました。

浄妙寺本堂です。

 

本堂の横には、天正年間(1500年代)僧が一同に茶を喫していたという喜泉庵があります。

平成三年に復元された喜泉庵でも抹茶を飲みながら枯山水の庭を眺めることができます。私が訪れたときは、600円(干菓子)と1,000円(生菓子)から選べました。

 

寺の近くに鎌倉公方の屋敷跡の碑があるように、この付近は関東における政治の中心地でした。

緑に囲まれて落ち着いた雰囲気の浄妙寺ですが、室町時代は権力闘争の舞台でした。

鎌倉公方は代々幕府とは仲が良くありませんでしたが、持氏のときには完全に将軍に対立するようになります。持氏は将軍就任に不服を唱え、独立した行動をとりましたが、結局、将軍に兵を差し向けられて自殺に追い込まれました。

 

緑に囲まれた静かな境内

緑に囲まれたてると暗い印象を受けることもありますが、浄妙寺は参道と庭が広いせいか随分と明るい印象を受けます。

報国寺は観光客で賑やかですが、こちらは観光客も少なく落ち着いた雰囲気があります。

 

裏の墓地に足利貞氏のものと伝わる墓があります。実は関係ないという説もあるようです。

 

この道を進んだ先には、足利尊氏の弟・直義の供養塔があります。

 

直義の最期は、浄妙寺境内にあった延福寺で殺害されたとも、自然死によるものだとも言われてます。

 

藤原鎌足ゆかりの鎌足桜です。

 

訪れたときは、牡丹を植えたところでした。

 

本堂裏山の散策路からは、衣張山を一望できます。

 

散策路とそこからの眺めです。

 

浄妙寺の所在とアクセス

所在地 神奈川県鎌倉市浄明寺3丁目8−31
交通 JR「鎌倉駅」からバスで「浄明寺」バス停まで、バス停から徒歩3分
開門時間 9:00~16:30

 

拝観料:100円

車の場合は、有料駐車場が金沢街道沿いにあります。

 

鎌足稲荷神社

鎌足稲荷神社は、浄妙寺を一旦出て横の道を進んだ先にあります。浄妙寺の受付の人に行きたいことを告げると教えてくれます。

 

浄妙寺の横の坂道を上がっていくと、鎌足神社の階段が見えてきます。

階段の手前に案内もあります。

 

鎌足稲荷神社の由緒

大織冠藤原鎌足公は乳児の時、稲荷大神さまから鎌を授けられ、以来、常にお護りとして身につけ、大神さまのご加護を得られました。大化元年(645)、中大兄皇子(後の天智天皇)らとの協力のもと蘇我入鹿を討って大願を成就された鎌足公は、翌大化2年(646)東国に向かわれ、相模国由井の里に宿泊されました。その夜、「あなたに鎌を授けて守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願をなし遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神国があり、お告げのままに鎌を埋納し、祠を営んでお祀りしたのが、当神社の始まりです。鎌倉の地名は、鎌足公が鎌を埋納したことによるとされています。

「お稲荷さま」というキツネをイメージする人もいますが、キツネは稲荷大神のお使いであって、稲荷大神そのものではありません。

 

鎌足稲荷神社には、商売繁盛、殖産興業、家内安全、心願成就、厄除け、開運の御利益があると聞いて願掛けしてきました。

 

おわり

浄妙寺は、鎌倉五山第五位の臨済宗建長寺派の古刹ですが、境内には洋風のレストランもあって人気です。ここで食事するのもおしゃれです。

 

緑が豊かな場所なので、紅葉の時季になったら再び訪れたい場所です。

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