鎌倉の比企谷(ひきがやつ)には、日蓮宗の本山、妙本寺があります。
妙本寺は、山号を長興山(ちょうこうざん)といい、日蓮上人と歴史上重要な関りがある寺院なので霊跡寺院とされています。
比企谷は、かつて比企の慕雪として鎌倉八景の一つに数えられたように、妙法寺の寺領に足を踏み入れると周りの雰囲気がガラッと変わり、緑にあふれた静寂な世界が広がります。
妙本寺は、カイドウやノウゼンカズラといった花が有名で、他にも季節ごとに咲く花を楽しめます。
比企氏と源頼朝の歴史
妙本寺が現在建っているのは、鎌倉時代は源頼朝の有力な御家人であった比企能員の館があった場所です。
源頼朝が不遇なときに陰から支えたのが比企一族です。
妙本寺総門の横に立っている「比企能員邸址」碑
平治元年(1160)に起こった平治の乱で源義朝が平清盛に敗れると、義朝は鎌田政清と共に関東へと落ち延びようと試みますが、長田忠致に欺かれて殺害されてしまいます。
義朝や兄弟たちと落ち延びる途中ではぐれてしまった源頼朝は、生きたまま捕らえられて伊豆に流されました。
源氏の跡取りということで、頼朝には有力者から支援物資が送られてきたり、ほかの方法で協力する者もいました。
中でも頼朝の流人生活を支えたのが、乳母であった比企尼だったといわれています。
比企尼は頼朝に物資を送り届けるだけでなく、娘婿であった安達盛長、河越重頼を頼朝に仕えさせました。
また、甥の三善康信は、京都の情勢を常に頼朝に届けたため、頼朝は伊豆の田舎にいても天下の情勢を知ることができたといわれています。
比企尼の養子の比企能員が、頼朝が鎌倉幕府を開いたときに重臣となれたのは、養母の比企尼のによるところが大きかったとされています。
頼朝が鎌倉に幕府を開いた後は、妻の北条政子と一緒にたびたび比企館を訪れており、2代将軍の頼家を政子が産んだのもこの比企館というほど、頼朝の比企氏への信頼は厚いものでした。
能員の娘・若狭局は頼朝の嫡男頼家に嫁いで一幡を産むと、比企氏は将軍家の外戚となりました。
頼朝死後は重臣十三人の合議制となり、頼家は一人では政治の決定ができなくなったことに反発し、比企一族を重用するようになります。
しかし、これは北条氏にとっては脅威でした。
やがて比企氏と北条氏は意見も対立するようになり、2代将軍頼家は若狭局に唆されて北条氏に対する追討命令を出しますが、このことを知った北条政子は父の時政に報告します。
政子の報告で追討令のことを知った時政は、反対に比企能員を呼び出して騙し討ちしました。
この勢いのまま北条氏は比企谷を襲撃し、準備不足だった比企一族は若狭局と一幡もろとも全滅させられました。
比企能員の子供の中で、唯一生き残ったのが当時2歳の比企大学三郎能本(だいがくさぶろうよしもと)です。
この比企氏の一族が滅ばされた一連の戦いは、比企の乱といわれています。
その後、京都で順徳天皇に仕えた比企能本は、姪の竹御所(一幡の妹)のすすめで鎌倉に戻ります。
鎌倉で日蓮と出会って感動した能本は、帰依して比企谷に法華堂を建てました。
この法華堂が妙法寺の始まりといわれています。
参考文献
「鎌倉歴史散歩」 奥富敬之
「街道をゆく 三浦半島記」 司馬遼太郎
「鎌倉 古寺を歩く」 松尾剛次
比企谷「長興山 妙本寺」の概要
妙本寺は、山号を長興山という日蓮宗の本山です。
・宗派 日蓮宗
・名称 長興山妙本寺(ちょうこうざんみょうほんじ)
・建立 文応1年(1260)
・開山 日蓮上人
・開基 比企大学三郎能本
境内には、比企一族の供養塔が安置されています。
比企の乱で亡くなった一幡の袖を祀る一幡の袖塚、一幡を産んだ若狭局を祀る蛇苦止堂(じゃくしどう)といった史跡もあります。
日蓮が臨終する際に枕元に掛けられたとされる「臨滅度時の御本尊」が寺宝となっています。
緑豊かな敷地内では、サクラ、カイドウ、シャガ・ノウゼンカズラなどが鮮やかな花をつけます。
妙本寺の所在地とアクセス
妙本寺の所在地 | 〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町1丁目15−1 |
アクセス | JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩10分 |
鎌倉駅から若宮大路に出て、由比ヶ浜に向かって進むと左手にみえる、郵便局とスルガ銀行の間の道を抜けた先にあります。
入口に建っている「妙法蓮華経」の石柱は通りから見えます。
さらに進んで行くと妙本寺の総門があります。10時前であれば、土日でも空いてます。
総門の右に見える建物は幼稚園です。
妙本寺の景勝
景勝に優れた八つの景色を設定したものを八景といいますが、比企谷も比企の暮雪として鎌倉八景に選ばれています。
それだけ昔から素晴らしい景勝だったのでしょう。
駅から近い場所なのに、静かで境内に入ると緑が多く、素晴らしい眺めを堪能できます。
鎌倉には、山間の土地が多く、地名に谷が付く場所が結構あります。
比企谷もその一つで、入口は広くはありませんが、奥に行くと視界が開けるなだらかな丘陵となっています。
妙本寺は、地元住民からも人気の寺院の一つです。
特に春と秋の眺めが素晴らしいと思います。比企の暮雪というからには雪に映えるのかもしれませんが、あまり雪は降りません。
方丈門の前にある妙本寺の案内図です。このマップを撮っておけば、見たい史跡を見落とさないで回れます。
方丈門の先にある階段。階段を昇るとトイレや本堂があります。階段の脇には苔が生えてます。
妙本寺の本堂です。
妙本寺の鐘楼
妙本寺の二天門。二天門の二天とは、左右に一体ずつの像が置かれた門をいいます。持国天と多聞天が対に安置されています。
日蓮上人鎌倉開教聖地の碑
鎌倉の地たる洵に聖地なるかな
宗祖この山に憩ひ、この町に叫び、この海より流さる
潮音耳を打てば今猶此経難持の声あり
街衢、塵を揚ぐれば杖木瓦石の響あり
鳴呼この地を過ぎ、この地に住む者、其れ宗祖当年の忍苦を偲び、粛然奮然信仰を増進せよや
塚本柳斎
妙本寺の祖師堂は、鎌倉最大級の木造建築物です。
祖師は日蓮上人のことです。木像日蓮大聖人像が安置されています。
日蓮聖人の像です。日蓮の像は、ごついものが多いです。
二天門を背にした眺めです。
緑に囲まれた美しい参道です。この寺院では人力車をよく見かけます。
訪れるのに特におすすめなのは春と秋です。
若狭局を祀る蛇苦止堂です。
吾妻鏡によれば、北条時政に襲撃された際、若狭局と一幡も焼き殺され、それから60年後に、鎌倉幕府7代目執権北条政村の娘に霊となって憑りついたそうです。
蛇苦止堂は、若狭局の霊を慰めるために造られ、蛇苦止明神は妙本寺の守護神となっています。
妙法寺のまとめ
妙法寺は、比企谷とか比企の〇〇と紹介されていることもあります。
妙法寺は日蓮宗最古の寺院です。
日蓮臨終の際に掛かっていたご本尊が寺宝となってここにあるようです。
鎌倉の寺院は全て回りましたが、妙法寺は個人的に好きな寺院の一つです。
外は賑やかなのに、ここは静寂で落ち着いた雰囲気があります。