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「法性寺」日蓮大聖人を救った三匹の白猿のお話

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神奈川県逗子市にある「猿畠山 法性寺(えんばくさん ほっしょうじ)」は、日蓮上人ゆかりの日蓮宗の寺院である。

この寺には、松葉ヶ谷に草庵を構えていた日蓮が、念仏信者に襲われて(松葉ヶ谷の法難)この地に避難した際、三匹の白猿が現れて日蓮を救ったという伝説がある。

三匹の白猿に救われた日蓮は、白猿を山王権現の使いであるとして、法性寺境内には山王権現を祀っている塔がある。

 

法性寺の奥には、鎌倉七口の一つ「名越切通(なごえきりどおし)」があり、切通しを通れば「まんだら堂やぐら群」や「お猿畠の大切岸(おさるばたけのおおきりぎし)」といった史跡を見ることができる。

逗子の「お猿畠の大切岸」と「まんだら堂やぐら群」

日蓮上人と松葉ヶ谷法難

建長五年(1253)に安房から鎌倉に来た日蓮上人は、松葉ヶ谷に草庵を構え、法華経の功徳を説いて回ったという

文応元年(1260)に、鎌倉幕府五代執権の北条時頼に「立正安国論」を提出したことがきっかけで、念仏信者たちから恨みを買ってしまい、草庵が焼き討ちされてしまう(松葉ヶ谷法難)。

日蓮上人が辻説法を行ったといわれるいくつかある場所の一つがこの場所になる。

 

日蓮上人は、この襲撃から非難するために、現在の法性寺に今も残されている岩窟へ逃れた。

岩窟に逃れた際に三匹の白猿が現れ、日蓮はこの三匹の白猿を山王権現だとしたため、法性寺には山王権現の塔がある。

「山王権現祠」

『山王様

山王の字の縦三本横一本横三本縦一本の構成は、一心三観三観一心の妙法の心を示すものです。文應元年七月十六日、立正安国論による第一次国諫(光則寺)の反應は八月二十七日の名越御草案の焼打(安国論寺)となって顕はれました。

この時、天諸童子以為給持の佛讖は山王様の白猿となって義に従って實の如く實證を示されました。

多實塔は万世を貫ぬき永遠不磨の妙法の實果を具現します。

昭和五十年八月

諸聖報恩万霊供養の為め山王清浄講社有志建之』

 

猿畠山法性寺

猿畠山法性寺は、神奈川県逗子市にある日蓮宗の寺院で、日蓮の法難を救った地として日朗とその弟子の朗慶によって創建される。

「日蓮大聖人焼打御避難之霊跡」と書いてある石柱と、奥に見えているのが山門。

 

山門近くにある案内板 

案内板には、法性寺のある場所が松葉ヶ谷法難を救ったとして、日蓮六老僧の一人日朗とその弟子の朗慶の手で元亨元年(1321)頃に法性寺が創建されたとある。

また、寺領全域が東京・池上本門寺、鎌倉・妙本寺の奥の院とされているとのことだ。

 

山門をくぐって坂を登っていく途中にあるのが本堂だ。

本堂には「日朗菩薩墳墓霊場」と書かれた扁額がある。

 

本堂の横の道をさらに登って行くと、祖師堂や日朗菩薩御廟所がある。

 

祖師堂」 

祖師堂の左には日蓮が避難したという岩窟があり、祖師堂の右には「日朗菩薩御廟所」がある。

 

日朗菩薩御廟所

幼い頃から日蓮に弟子として仕えた日朗は、この山を鎌倉側に下りた所に住んでいて、幼い頃はよくこの山で遊んだそうである。

晩年になると、子供の頃を思い出されて「この山で眠りたいという」お話をされたため、この地に日朗の墓ができ、

若き日蓮聖人が鎌倉で布教をされていた頃、幼い日朗上人は弟子としてお仕えし、修行をしておられました。その頃のお住まいは、この山を鎌倉側に下りた所で、幼い日朗上人はこのお山でよく遊んでおりました。そして晩年、『子ども時代の思い出の多いこのお山で眠りたい』というご遺言によりこの地にお墓があるそうだ。

 

近くには、「開山 越中阿闍梨朗慶上人」と刻まれた石碑がある。

 

祖師堂の横にあった岩窟。

この岩窟が松葉ヶ谷法難の時に日蓮が避難場所であるようだ。

 

「山王権現」この階段を昇ると法性寺の鎮守である山王権現を祀ってある塔が立っている。

 

山王権現の階段を昇った先にあるのがこの塔である。

 

山王権現の祠からは、奇妙な岩場が見える。これがお猿畠の大切岸といわれている岩場である。

 

お猿畠の大切岸は、800mにわたってこのような岩場が続いている。

 

お猿畠の大切岸とまんだら堂やぐら群についてはこちら。

逗子の「お猿畠の大切岸」と「まんだら堂やぐら群」

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法性寺へのアクセス

法性寺の所在地 神奈川県逗子市久木9丁目1−33

法性寺へは、JR横須賀線の逗子駅から徒歩か、逗子駅からバスに乗って法性寺前バス停で下車するか

 

法性寺の門は、開門が午前七時、閉門は午後六時となっている。

 

法性寺の奥にはお墓があり、さらに奥に進むと「名越切通」の入口がある。

名越切通を使ってお猿畠の大切岸もまんだら堂やぐら群にも行ける。

 

まとめ

日蓮上人は、現在の千葉(安房小湊)で生まれ、のちに鎌倉に入り、法華経を教えるために松葉ヶ谷に草庵を結んだ。

その後、立正安国論を執権・北条時宗に提出した日蓮であったが、ほかの宗教を批判したことで恨みを買ってしまい、松葉ヶ谷に構えた草庵が焼打されてしまう。 

草案が襲撃された際に、日蓮は三匹の白猿に助けられ、日蓮は三匹の白猿を山王権現が姿を変えて助けてくれたとして、弟子たちにこの地で報恩するように言った。

日朗は、小さい頃に遊んだこの場所で眠りたいとの遺言を残し、日朗のお墓をこの地に立てた。日朗のお墓を守るため弟子の朗慶たちが法性寺を創建する。

 

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おぐに

歴史と旅が好き。休みの日は、ツーリングや観光していることが多い。

神奈川県の観光地を紹介していく予定。

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