東急東横線の大倉山駅に用事があったので、駅からそれほど離れていない「大倉山公園」に行ってきました。
大倉山公園には、1.1ヘクタールの広さを持つ梅林があります。
梅林には46種類、約220本の梅の木があり、横浜の梅の名所となっています。
2月中旬から3月頃になると「大倉山うめまつり」が開催され、たくさんの花見客が訪れます。
公園の中央には大倉山記念館があり、ホールなどを利用することもできます。
大倉山公園
大倉山公園始まりは、東急電鉄が1931年に隣接する龍松院から土地を買い、梅林を整備して太尾公園として開園したことからです。
1934年には、現在と同じ大倉山公園へと名称を変更し、その後、大倉精神文化研究所の土地を取得して整備し、1984年に大倉山公園として開園しました。
大倉山公園は、「入口広場」「記念館前広場」「大倉山記念館」「ピクニック園地」「花畑」「雑木林」「花木園」「梅林」に分かれます。有名なのは大倉山記念館と梅林です。
大倉山駅の改札を出て坂を上ると最初にあるのが入口広場です。
階段を上ると記念館前広場があります。
小学校の課外授業か遠足か分かりませんが、小学生が走り回ってました。
梅林近くにある休憩所の前にある公園の案内です。
大倉山記念館
実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦(1882-1971)により昭和7年(1932)「大倉精神文化研究所」の本館として創建されました。
昭和56年(1981)横浜市が寄贈を受け、大改修のうえ建物の保存を図るとともに、昭和59年(1984)横浜市大倉山記念館として生まれ変わり、平成3年(1991)には横浜市指定有形文化財に指定されました。
開館以来、1万人以上の入場者を集める「大倉山秋の芸術祭」、こどもの日にちなんだ「こどもフェスティバル」、12月の「小さな丘のメリークリスマス」、など地域に密着した催し物が多数行われる文化施設として市民に親しまれています。
また、ギリシャ神殿様式のピロティー、昭和初期の雰囲気を残す第5集会室、神社建築の木組みを取り入れたホール、エントランスなど、映画やテレビのロケ地としても数多く活用されています。
大倉山公園梅林
大倉山公園の一番奥に大倉山公園梅林があります。
大倉山公園梅林の見頃は2月中旬から3月上旬です。
早咲きの梅もあるので、2月中旬ごろに来園してもきれいに咲いている梅が見れたりします。
大倉山駅からは徒歩7分ですが、坂を上るので実際はもう少しかかるかもしれません。
この梅林は、東京急行電鉄が龍松院から土地を購入し、昭和6年(1931)に開園したもので、小森嘉一さん(大倉精神文化研究所元研究員)の話によると、東急東横線の学芸大学駅のあたりにあった金持ちの別荘の梅を移植したのが始まりだそうです。
梅林入口にある大倉山公園梅林の由来の説明文には、「最盛期の昭和12年(1937)ごろには、白梅を中心に14種1,000本を超える一大梅林があったとされますが、第二次大戦中は燃料用のたき木を取るため伐採されたり食糧不足のためイモ畑化するなど荒廃しました。」とあります。
昭和18年ごろに大倉精神文化研究所の創設者である大倉邦彦氏が旧制の高等学校を大倉山に開校しようとした時に、校地として譲り受ける計画もありましたが、実現しないままに戦後を迎えました。
戦後も梅林には数百本の梅が咲き誇り、東横線沿線の観光地として賑わいました。かつては、観梅の時期に臨時急行「観梅号」が大倉山駅に停まったこともあったそうです。引用元 横浜市HP 横浜市港北区大倉山公園梅林の歴史
梅林マップには、紅千鳥、八重旭、緑萼梅、淡路枝垂、月影、白加賀、見驚、無類絞りが紹介されてましたが、他の種類の梅もあります。
冬至梅という種類の梅です。
白滝枝垂という種類の梅も見事でした。
筑紫紅も鮮やかな色の梅です。
田子の浦です。田子の浦は他の梅林(根岸森林公園、田浦梅林など)でも見かけました。
淡いピンク色をした花香実です。
大倉山公園の梅林は、横浜市内では大きな部類に入ると思います。うめまつりでは、飲食店も出店されていました。
売店には、おでんや甘酒が売ってました。
公園アクセスデータ
所在 神奈川県横浜市港北区大倉山2丁目10
交通 東急東横線「大倉山駅」から徒歩3分
駐車場なし
大倉山公園のおすすめの場所
・大倉山記念館
・大倉山公園梅林
おわりに
港北区に住んでたので、大倉山公園は学生の頃に何度か訪れました。
東急東横線沿線の不動産は全般的に高めですが、各駅しか止まらないので大倉山は比較的安いほうです。
賃貸でも商店街を気に入って大倉山に住むことを決める人もいるように、若者にも人気のエリアです。