給料の4分の1を貯金に回し、やがて貯金を投資に回して巨万の富を築いた本多静六を知っていますか?
本多静六は、明治から昭和に活躍した人物ですが、有名な人なのでご存じの方も多いと思います。
亡くなるまでに残した著作は370冊以上にのぼるといわれ、中でも有名なのが四分の一貯金について書かれた「私の財産告白」です。
当時と今とでは経済、社会情勢は違うかもしれませんが、現代人が読んでも参考になる部分は多いと思います。
本多静六とは
本多静六は、慶応2年(1866)に現在の埼玉県久喜市で生まれました。
代々名主の家でしたが、幼少の頃に父親を亡くしたため、百姓や米搗きをしながら苦学して東京山林学校に入学します。
一度は落第して自殺を図りましたが死にきれず、思い直した末、猛勉強して首席で卒業しました。
卒業後にドイツに留学し、ミュンヘン大学で博士号を取得しました。
明治25年(1892)に東京農科大学(東大農学部)の助教授となり、月給4分の1天引き貯金を開始します。
助教授になったときに「四十までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、六十までは専心究学、七十まではお礼奉公、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」の人生計画を立てたといいます。
日比谷公園や明治神宮の設計や造園などで活躍しながら蓄財し、鉄道会社の株や山林に投資して億万長者になりました。
退官時に全財産を匿名で寄付したことでも知られています。その後も働学併進(どうがくへいしん)をモットーに簡素生活をし、370冊以上の著作を残して昭和27年(1952)1月に85歳で逝去しました。
本多静六の「私の財産告白」
本多静六は、370冊以上の著作を残したといわれていますが、中でも有名なのが「私の財産告白」です。
私が大学生の頃に建設現場で働いてお金を貯め、そのお金を殖やそうと思い投資に手を出したところ、見事に失敗してしまって茫然自失している時に出会ったのがこの本でした。
テレビや雑誌等でファイナンシャルプランナーや節約の専門家も似たようなことをいっていますが、収入を天引きして残金で生活するといった方法は昔からあります。
本に書いてあることは誰でもが知っている当たり前のことが多いのですが、この成功方法を実践して億万長者になった人がいうと説得力が違います。
苦学生の頃に初めて天丼を食べ、あまりの美味しさに留学から帰った時に天丼を二杯食べてみたところ、それほど美味くなかったという体験に触れ、お金が二倍になっても幸福が二倍にならないといった本多流人生哲学も披露しています。
「人生計画の立て方」「私の生活流儀」「私の財産告白」の三冊が本多静六の三部作といわれて有名です。
四分の一貯金とは
入ってくる収入を天引きして、残りのお金で生活していく方法は、松平定信や二宮尊徳も奨励している方法です。
給与などの定期収入であれば、最初に4分の1を天引きして貯金し、ボーナス等の臨時収入については全額を貯金します。
毎月の生活は残りのお金でやりくりするというのが本多式四分の一貯金で、本多静六は25歳からこれを実践したといいます。
といっても四の一貯金を始めたときには本多静六は結婚していたので、家計のやりくりは全て奥さんに任せていたようです。思ってたのとちょっと違います。
四分の一貯金を始めたばかりの頃は、月末になるとごま塩ばかりだったようですが、数年経つと貯金利子や給料も増え、生活も楽になっていったようです。
一代で財産を作るためには、無駄遣いせずに貯蓄することは避けて通れません。
投資をするにも、ある程度の種銭がないと、たとえ高い利回りで運用出来てもたかが知れてるからです。
貯金だけではインフレで目減りしていく
勤倹貯蓄によって、貯金がある程度の額に達したら、次は富を得るための投資が必要です。
昔から投資をせずに貯金だけで富を得た人はいません。
特に今の日本では、貯金した場合の利子は0.002%とかなので、銀行に預けても利子はほとんどつかず増えません。
ここ最近、毎年のように日用品の値上がりが起きてますが、投資利益がそれを下回るということは、お金の目減りが起きていることになります。
経済的には緩やかなインフレが望ましいとされていますが、緩やかであってもインフレを下回る利子や上がらない給与では対抗できません。
まずはこの本を読み、自分に何が必要なのかを理解することが大切かもしれません。
おわりに
この本に書いてあることはシンプルで分かりやすいく、自己啓発の本としてもおすすめです。
時代は変わっても基本的に大事なことは変わりません。