源氏山公園の近くに葛原岡神社があります。
源氏山は、八幡太郎義家が後三年の役に臨む際に白旗を立てて戦勝を祈願したことから、別名旗立山とも呼ばれています。
源頼朝よりも早くからこの一帯は源氏と縁が深かったようです。
葛原岡神社がある場所は鎌倉時代の刑場だったといわれています。
後醍醐天皇の倒幕計画に加わった日野俊基がこの地で処刑され、俊基を祀るため明治時代に創建されたのが葛原岡神社です。
葛原岡神社
銭洗弁天の前の坂道をずっと上って行った突き当りを左に曲がり、しばらく進んで行くと葛原岡神社が見えてきます。
葛原岡神社は、後醍醐天皇による鎌倉幕府の討幕計画に加わった日野俊基を祀っている神社です。
また、縁結びのパワースポットとしても知られています。
源氏山公園はアジサイの名所としても知られてますが、神社の駐車場近くにあじさいの小径があります。
鎌倉のあじさいの名所と言われる場所は、どこも数は少ないですが限られたスペースをうまく利用してる印象です。
手水の使い方についての案内です。
- まず右手で柄杓を持ち、水をすくい、左手にかけ、左手を清めます。
- 次に左手に柄杓を持ちかえ、右手を清めます。
- 清めた右手に柄杓を持ちかえ、左手で水をうけて口をすすぎます。
- 再度左手を清めます。最後に、柄杓を縦にしながら、柄杓の残り水で全体を清めて元の場所へお戻しください。
こちらは境内にある魔去ル石です。
1枚100円で盃を購入して、この石に当てて割ると魔が去るそうです。
縁結びの神社だけあって境内には恋みくじや縁結びの石があります。
合鎚稲荷社です。稲荷社は日本ではよく知られた神様ですが、商売繁盛のご利益があるとされています。
合鎚稲荷の横にある参道をさらに進んでいくと、葛原岡神社の本殿があります。
こちらが神社の本殿で、日野俊基はこの場所で処刑されました。
日野俊基卿最期の地があります。処刑されたのは元弘二年(1332)六月三日とあります。
こもれび広場
葛原岡神社のすぐ近くに休憩ができるこもれび広場があります。
神社がある場所は、一番高い場所にあるため日によっては富士山が見えることがあるそうです。
こもれび広場は北鎌倉から大仏までのハイキングコースの途中にあるので、ランチタイムはハイキングの人たちで賑わってます。
ハイキングコースを進んで行くと鎌倉五山第四位の浄智寺の横に出ます。浄智寺は別の機会にするとして今回は引き返します。
紅葉や紫陽花の時期以外は、修学旅行生や遠足の学生で賑わっています。この日も修学旅行生をたくさん見かけました。
日野俊基の墓
葛原岡神社手前には、「日野俊基の墓」があります。
日野俊基は、後醍醐天皇に仕えて後醍醐天皇の討幕計画に加わりました。
正中の変で計画が発覚して幕府に捕らえられ、一度は許されて一命を取りとめましたが、再び討幕計画に加わって捕らえられて、結局は処刑されてしまいました。
明治維新で廃仏毀釈が行われ、それまで日の目を見なかった南朝方の武将が祀られるようになります。
俊基も討幕の功労者として評価され、明治二十年に俊基を祭神とする葛原岡神社が創建されました。
「国指定史跡 日野俊基墓入口」とあります。葛原岡神社を出て右に進むとあります。
日野俊基の墓がこちらです。神社と比べると訪れる人が少ないです。
鎌倉市教育委員会の案内です。
『日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣 後醍醐天皇につかえ討幕計画に参加した。
正中の変(1324)に捕らえられ許されたが、元弘の乱(1331)の時再び捕らえられ、鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された。
平成三年七月十五日 鎌倉市教育委員会』とあります。
葛原岡神社のアクセス
住所 神奈川県鎌倉市梶原5丁目9-1
葛原岡神社には、小さいですが参拝者用の駐車場がありました(6台?)。
まとめ
・葛原岡神社は鎌倉の源氏山公園の隣にある
・葛原岡神社は後醍醐天皇の腹心日野俊基を祀っている神社
・日野俊基は正中の変で処刑された
・縁結びの神社でもある