江戸時代以前には、七口と呼ばれた鎌倉に入る道がありました。
七口の中でも当時の面影を残しているといわれているのが、名越切通(なごえきりどおし)と朝夷奈切通(あさいなきりどおし)です。
鎌倉と逗子をつなぐ名越切通の途中には、「お猿畠の大切岸」と「まんだら堂やぐら群」という名所があるので行ってきました。
名越切通しと法性寺
お猿畠の大切岸(おさるばたけのおおきりぎし)は、逗子にある日蓮宗の寺院法性寺(ほっしょうじ)に近い名越切通沿いにあります。
猿畠山法性寺(えんばくさんほっしょうじ)は、鎌倉時代の僧日蓮と関係があるそうです。
鎌倉の松葉ヶ谷に草庵を構えた日蓮は、立正安国論がもとで恨みを買ってしまい、浄土教信者たちに襲撃されました。
日蓮が襲撃される直前に三匹の白猿が現れ、山の岩窟へと導かれた日蓮は難を逃れて助かったといわれてます。
難を逃れた日蓮は、この白猿の恩に報いるように弟子に言いつけたといいます。
お猿畠の大切岸は、長さが800m以上、高さ3m~10mにもなる断崖が尾根に沿って続いている岩場です。
以前は、鎌倉幕府が三浦一族の攻撃の備えとして築いた防衛施設だと考えられてきましたが、平成14年の発掘調査で大規模な石切り場跡地ということが判明しました。
14~15世紀に鎌倉で建築に使う石が大量に必要になり、この地が石切り場になったようです。
名越切通は、鎌倉にある七つの切通しの中では、朝夷奈切通と並んで当時の面影を残しているといわれています。
名越切通は、鎌倉から三浦半島を結ぶ交通路で、明治時代に入って現在の横須賀線や小坪トンネルが開通するまで幹線道路として使われてきました。
通行しやすいように改修したり、天災などで崩れては復旧を繰り返してきたため、時代とともに変化してきたといいます。
名越切通は、ハイキングコースにもなっており、数人でハイキングしている人を見かけます。
岐れ道ごとに案内標識があるため、道には迷わないで行けると思います。
まんだら堂やぐら群は、原則は閉鎖中ですが、定期的に見れるように一定期間だけ公開してることがあります。
お猿畠の大切岸
法性寺の裏からであれば、10分もかからずにお猿畠の大切岸に着きます。
前方に見えるのが石切り場跡のお猿畠の大切岸です。歩いていていると足元がふかふかします。
大切岸は、風化の影響なのか蜂の巣のように見えました。
手前の道がハイキングコースになっているため、人通りは多いです。
お猿畠の大切岸の途中からは、逗子の市街地が見えます。
お猿畠の大切岸へのアクセス
所在地:神奈川県逗子市久木
交通:JR横須賀線「逗子駅」からバスで「法性寺」バス停で下車して、法性寺の裏から名越切通に行くのが分かりやすい
逗子駅からバスで「緑ヶ丘入口」バス停まで行き、名越切通でまんだら堂やぐら群を見た後にお猿畠の大切岸へ行くという人も多いです。
まんだら堂やぐら群
次は、「まんだら堂やぐら群」へ行きます。
途中には、鎌倉市の指定文化財「石廟」があります。
まんだら堂やぐら群とお猿畠の大切岸との途中です。サリーちゃんの館の裏の道を進んで行きます。
こんな山の中なのにお墓を守るようにして猫が何匹もいました。
途中の道は、なだらかな丘陵が続くので歩きやすいです。
分かれ道に表示があるので迷うことはないと思います。
大切岸から歩いて10分くらい?してやぐら群に到着しました。
まんだら堂やぐら群には、約150基の供養塔が建っています。
この周辺からは、死者を荼毘に付した跡が見つかっていて、斬首された人骨や火葬された人骨も出土しています。一部で心霊スポット扱いされてるようです。
周辺には、たくさんのやぐらと供養塔があります。やぐらは、鎌倉ではよく見られる光景で、やぐらの中には供養塔や石仏が安置されてます。
なんでこんな所にこんな場所がと思いますが、実は現在も発掘調査中のようです。これからこの場所が詳しく判明するかもしれません。
次回、いつ公開されるかは、逗子市のホームページから確認できます。
今回のまとめ
お猿畠の大切岸に行くのであれば、まんだら堂やぐら群と一緒に見るのがおすすめです。
・名越切通は、鎌倉に通じる七口(七つの切通)の一つ
・猿畠山法性寺は、松葉ケ谷の法難で日蓮上人を助けた三匹の白猿に由来する
・お猿畠の大切岸は、昔あった石切り場の跡
・お猿畠の大切岸からまんだら堂やぐら群へは、名越切通を使って歩いて行ける
・まんだら堂やぐら群にあるやぐらの数は約150基ほどある
・まんだら堂やぐら群は普段は閉鎖してるけど、限定公開が行われることがある