平安時代に西日本で始まったといわれているのが三十三観音巡礼である。鎌倉時代になると関東でも「坂東三十三観音巡礼」が成立する。
坂東三十三カ所は、関東(神奈川・東京・千葉・埼玉・群馬・栃木・茨城)に点在しているが、横浜市内で唯一入っているのが「弘明寺」である。
弘明寺へのアクセス
瑞応山弘明寺は、弘明寺商店街にある高野山真言宗の寺院だ。
創建は天平9年(737)で、横浜で屈指の古寺である。
本尊の拝観は300円。
住所 | 神奈川県横浜市南区弘明寺町267 |
交通 | 京浜急行線「弘明寺」駅から徒歩2分 |
弘明寺駅は、隣の上大岡駅と比べると小さな駅かもしれないが、駅前の商店街は今でも賑わいをみせている。
商店街を交差するように流れる大岡川は桜の名所として知られており、市内だけでなく市外からも多くの人が訪れる。
線路沿いはレトロな下町の雰囲気がある。
横浜市営地下鉄のブルーライン線の弘明寺駅で下車した場合は、商店街を抜けた先に弘明寺がある。
京急線もブルーライン線も駅名が弘明寺だが、徒歩で10分近く離れている。
弘明寺の歴史
聖武天皇の天平9年(737)に行基が全国巡錫を行った際、この地を訪れて草庵をつくり、観音像を刻んで建物を建てたのが寺の始まりだそうだ。
この観音像は、木造の十一面観音立像で、関東に多く残る鉈彫りの中でも特筆すべきものがあるようだ。
また、十一面観音菩薩を祀った観音堂は、寛徳元年(1044)建立時の古材が使われている。
『弘明寺は、瑞応山蓮華院と号す真言宗の寺院で寺伝によると「今を去る1200余年前、元正天皇の養老5年(721)、インドの善無畏(ぜんむい)三蔵法師が仏教弘通のため、日本渡来の節開創されたお寺で、それより17年後、聖武天皇の天平9年、諸国に悪病流行の際、行基菩薩が勅命により、天下泰平祈願のため全国巡錫の際、当山の霊域を感得し草庵をつくり観音様を彫刻、安置せられた。」とあります。』
境内には、善無畏三蔵法師が陀羅尼を書写し、結界を立てた霊石の「七つ石」、尾りよ石と刻してある「尾閭石」、大黒天の袋に似ている「福石」がある。
瑞応山弘明寺の境内
弘明寺駅を降りて、商店街を鎌倉街道方面へ進んでいくと弘明寺がある。境内への入口にある門が仁王門。
仁王」の両隣にいる仁王像は弘明寺商店街をにらむように立っている。
階段の途中に身代地蔵菩薩がある。身体の悪いところと同じ場所をタオルやハンカチでさすると良くなるそうだ。
階段を上がった先に弘明寺の本堂がある。寛徳元年(1044)に光慧上人によって建立されたのが始まり。現在の本堂は明和3年(1766)に智光上人によって再建されたといわれている。
弘明寺の晩鐘。この晩鐘は江戸神田に住む西村和泉守藤原政平という人の作とのこと。
案内板にあった善無畏三蔵法師が陀羅尼を書写し、結界を立てた霊石七つ石がこちら。
養老5年(721)、インドの僧・善無畏三蔵法師が日本に渡来してこの地を訪れ、7つの盤石を埋めて結界をつくったと伝わっている。
弘明寺公園
京浜急行線を挟んだ反対側には、駅前にしては大きい弘明寺公園がある。
元々は弘明寺が保有している土地だったそうだが、横浜市に譲渡したそうだ。
弘明寺駅から歩いて1分で南図書館に着く。横浜市の18区にはそれぞれ図書館があるが、駅から最も近い図書館かもしれない。
弘明寺へ行く前に図書館で弘明寺について調べてみたが、めぼしい文献は見つからなかった。
弘明寺公園のブランコ
遊具広場も充実しているので、小さい子供も楽しめる。
公園内をウォーキングしている人も多い。駅からぐるっとまわって展望台まで歩けば500m歩くことになる。
公園内にはいろいろな植物が植えてあった。四季ごとにいろいろ楽しめそう。
公園内は自然があふれ、紅葉の時季も楽しめる。
山の上に展望台があったから登ってみた。
展望台からは横浜の街が見える。ランドマークタワーも見えた。
展望台から見た保土谷方面。木が邪魔でよく見えない。
弘明寺まとめ
・弘明寺は横浜屈指の古い寺だった。
・弘明寺は、坂東三十三ヵ所札所の一つ。
・弘明寺の観音堂には、本尊の十一面観音菩薩が祀られている。
・十一面観音像は、鉈彫りの中でも有名。
・境内で霊石の七つ石が今も見ることができる。
・線路を挟んだ反対側に図書館と公園がある。
参考