浄妙寺(じょうみょうじ)は、金沢街道から入った場所にある鎌倉五山第五位の格付けを持つ臨済宗建長寺派の寺院です。
浄妙寺の寺号は稲荷山で、源義康の嫡男の足利氏2代目当主義兼によって創立された寺院ですが、最初は極楽寺と称したそうです。
浄妙寺中興の開基といわれる足利貞氏は、室町幕府を創設した足利尊氏の父にあたります。
浄妙寺の歴史
浄妙寺は、源頼朝の挙兵以来の重臣であり、源氏の流れをくむ豪勇の士・足利義兼によって創建されました。
開山には、退耕行勇という頼朝や政子も帰依した高僧を招きました。
浄明寺は、鎌倉五山第五位の由緒ある寺院で、室町時代には境内に二十三の塔頭を持つ大寺院だったといいます。
寺院の横を抜けた奥にある鎌足稲荷神社は、鎌倉の地名の由来といわれています。
「少し寂しいけど」
鎌倉三十三観音第9番です。
浄妙寺の案内板によれば、建立は文治4年(1188)で、初めは極楽寺という名前でした。
建長寺の開山である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の弟子・月峯了然(げっぽうりょうねん)が住職となってから禅刹になり、寺の名前も浄妙寺になりました。
寺の名前を改称したのは、1257~59頃のようです。
歴代の住持は名僧が多く、約翁徳倹、高峰顕日、竺仙梵僊、天岸慧広などがなっています。
中興開基は、室町幕府を開いた足利尊氏の父貞氏で、境内には貞氏の墓もあります。
現在のように鎌倉五山が固定したのは、足利義満の時代といわれ、当時は七堂伽藍が完備し、塔頭二十三院を数えた大寺院でした。
しかしながら、度重なる火災によって衰退していってしまいました。
寺の裏山の稲荷山には、藤原鎌足が鎌を埋めたという伝説があります。
蘇我入鹿を討った鎌足は、東国に向かう途中で相模の由比に宿泊しました。
すると、この地に鎌を埋めるようにとのお告げがあったので、お告げの通りに鎌を埋めたといいます。
鎌倉の地名は、鎌足がこの地に鎌を埋めたことからきているそうです。
室町時代には、関東を抑えるための鎌倉公方の屋敷が浄妙寺の近くにあったようです。
室町幕府と対立した鎌倉公方4代目・足利持氏の屋敷も近くにあり、浄妙寺付近は権力闘争の場所でした。
開山の退耕行勇について、パンフレットの紹介によると「行勇律師(1163~1241)は相模国酒匂(小田原市)の人で初名は玄信、荘厳房と称した。幼くして薙髪出家し、真言密教を学んだ。養和元年(1181)には鶴岡八幡宮寺の供僧となり、ついで永福寺・大慈寺の別当にも任じ、文治四年(1188)足利義兼が当山を建立すると開山に迎えられた。正治元年(1199)栄西が鎌倉に下向すると、その門に入って臨済禅を修め、栄西没後は寿福寺二世に任じている。頼朝や政子に信任されて戒を授ける一方、「所住の寺、海衆満堂」といわれるほど信望され、実朝もあつく帰依した。
仁治二年七月、東勝寺で没した。」とあります。
浄妙寺にあるとされる文化財
・釈迦如来坐像
・退行行勇坐像
・阿弥陀如来立像
・三宝荒神立像
・伽藍神椅像
・達磨大師座像
・淡島大明神立像
・藤原鎌足像
・紙本淡彩地蔵菩薩像
・金銅燈籠
・青磁香炉
・紙本墨画浄妙寺境内絵図
・紙本墨書浄妙寺文書
稲荷山浄妙寺境内
浄妙寺がある場所は、浄明寺という町にあります。
地名の場合は、「妙」ではなく「明」の字を使います。聞いた話では、寺と同じだと恐れ多いからとか。
浄明寺バス停から徒歩2分で浄妙寺の山門に着きます。
浄妙寺の拝観料は100円です。拝観料を払うとパンフレットがもらえます。
浄妙寺の裏には、石窯ガーデンテラスがあります。人気があるので平日でも混雑してます。
山門をくぐると本堂に続く参道があります。奥に見える建物が本堂になります。
境内には、梅やボタンなどが植えてました。
浄妙寺の本堂。江戸時代中期に建築されたといいます。
境内には、「鎌足桜」といわれる藤原鎌足ゆかりの八重桜が植えてあります。
横の道から石窯ガーデンテラスに行けます。
天正時代(1573~1591)に建立された茶室を復興させたのが「喜泉庵」です。
喜泉庵では、枯山水を見ながらお茶を飲むことができます。
交通アクセス
所在地 鎌倉市浄明寺3丁目8-31
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」東口からバスに乗り、「浄明寺」で下車
拝観料は100円。
浄妙寺駐車場
浄明寺バス停前に有料駐車場があります。
駐車料金は、1時間ごとに500円かかります。
駐車場から浄妙寺までは徒歩2,3分で行けます。
稲荷山浄妙寺のまとめ
・浄妙寺は、鎌倉五山第五位の格式を持つ臨済宗建長寺派の寺院。
・浄妙寺は、退行行勇を開山に招き、足利義兼によって創建された。
・室町幕府を開いた足利尊氏は義兼の子孫にあたる。
・鎌倉公方の屋敷は浄明寺にあった。
・境内には、石窯ガーデンテラス、喜泉庵といった人気カフェがある。