海がある鎌倉南部、建長寺や円覚寺がある北鎌倉エリアなど、鎌倉といってもエリアに寄って雰囲気は異なります。
鎌倉東部の丘陵地や谷戸があるエリアは現在では住宅地となっていますが、元々は自然豊かな場所です。
かつては足利氏の邸宅があって関東の政治の中心地だったり、歴史ある寺院も多いので、エリアの多くが歴史的風土保存区域及び歴史的風土特別保存地区に指定されています。
周りは自然に囲まれているので、街を歩くだけでも、梅や桜、アジサイの他、紅葉など楽しめます。
そんな鎌倉の北東、十二所の滑川を下って橋を渡るとあるのが明王院です。
鎌倉の十二所にある明王院は、鎌倉時代の将軍によって建築された数ある寺院の中で、唯一現存している寺院です。
明王院は、鎌倉幕府の第四代目の将軍藤原頼経によって建てられました。
飯盛山寛喜寺明王院
明王院は、鎌倉の北東、十二所にある寺院で、嘉禎元年(1235年)に鎌倉幕府四代将軍の藤原頼経によって建立されました。
将軍によって建立された寺院はいくつかありますが、鎌倉市内に現存する寺院は明王院だけです。
明王院のある場所は幕府の鬼門にあたるため、鬼門除けの祈願所として建築されました。
本尊に五大明王を祀っているのは鎌倉では明王院だけです。
五大明王とは、不動明王(鎌倉時代のもの)を中心に、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王の4体をいいます。
明王院は、鎌倉三十三観音霊場8番札所になっています。
木造五大明王像(市指定文化財)は、毎月28日の護摩法要に公開されます。
四代将軍頼経は、三代将軍源実朝が暗殺された後、二歳で鎌倉に下向した公家出身の将軍です。
成長するにつれて将軍としての意志をもち始めると、五代執権北条時頼によって京都に追い返されてしまいました。
・宗派 真言宗御室派
・山号寺号 飯盛山寛喜寺明王院(はんせいざんかんぎじみょうおういん)
・創建 嘉禎元年(1235)
・開基 藤原頼経(ふじわらよりつね)
・開山 定豪(じょうごう)・元鶴岡八幡宮別当
「鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願寺として建立しました。幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願寺として本尊の五大明王が大きなお堂にそれぞれ祀られていたことから、古くから五大堂と呼ばれていました。五大明王とは、不動明王(ふどうみょうおう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)で、鎌倉市内で祀られているのは明王院だけです。
毎月二十八日には護摩法要が行われ、この時だけは誰でも本堂に入ることができます。」
金沢鎌倉街道から入って少し歩くと「五大堂明王院」と刻まれた石が見えてきます。
入口から見た参道と、奥に見えるのが現在も茅葺屋根の本堂です。
ちなみに明王院の境内は、撮影が禁止されています。撮影が禁止されてるので写真はここまでです。
明王院近くの金沢鎌倉街道沿いには、石仏が何体も並んでます。石仏や石塔は鎌倉ではよく見る光景です。
幕府の鬼門除け
明王院は、鎌倉幕府の鬼門の方角に当たる北東にあります。
横浜市にある富岡八幡宮も、鎌倉の鬼門封じとして源頼朝によって1191年に創建されました。
富岡八幡宮は、鎌倉時代初期に創建された由緒ある神社です。富岡八幡宮というと、東京江東区の富岡八幡宮が有名ですが、もともとは横浜の富岡八幡宮から分社したのが江東区の富岡八幡宮です。
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弘明寺から近い場所にも、鬼門封じのために若宮八幡宮が建久4年(1193年)に頼朝によって建てられました。
明王院へのアクセス
所在地 | 神奈川県鎌倉市十二所32 |
アクセス | JR「鎌倉駅」からバスに乗車し、「泉水橋」バス停下車 |
大慈寺跡
明王院の東には、七堂伽藍を有した「大慈寺」があったと伝わっています。
大慈寺は、鎌倉幕府三代将軍源実朝が建暦二年(1212年)に創建した寺院で、明王院の東側一帯にあった大きな寺院だったそうです。
大慈寺跡の石碑
「大慈寺は、建暦二年、源実朝の創建にかかり、新御堂と号す。
建保二年七月二十七日大供養を行はれ、尼御台政子及び将軍実朝大に儀衛を張り、之に臨めり後、正嘉元年征夷大将軍宗尊親王の時、本堂丈六堂、新阿弥陀堂、釈迦堂、三重の塔、鐘楼等悉く修理を加へられ荘厳の美、殆と古跡に軼きたりと東鑑に見へたり。
当時の盛観以て想ふへし。
爾来星霜七百年布金の地、また一片の礎石をも止めす桑滄の變嘆すべき哉。」
石碑の所在地 | 神奈川県鎌倉市十二所66 |
まとめ
・明王院は、鎌倉で唯一の五大明王を祀る寺院。
・鎌倉時代の将軍が創建した数ある寺院の中で、唯一現存している寺院が明王院。
・毎月28日に行われる護摩法要で五大明王が見れる。
・明王院の東には、鎌倉幕府三代将軍源実朝が創建した「大慈寺」という大きな寺院があった。