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源頼朝が建立した三大寺社の一つ「永福寺跡」

投稿日:2019年3月19日 更新日:

鎌倉市の二階堂にあったといわれる「永福寺(ようふくじ)」をご存知でしょうか?

永福寺は、現在は廃絶してしまいありませんが、鎌倉の二階堂にある国の指定史跡になっています。

源頼朝が奥州藤原氏を攻めた後、中尊寺の大長寿院を参考にして建立した寺院といわれています。

建久3年(1192年)に中心の二階堂が建てられ、永福寺は鶴岡八幡宮、勝長寿院と並ぶ三大社寺となったのですが、応永12年(1405)12月の火災によって建物は焼け落ち、その後再建されることなく廃寺となったようです。

現在の永福寺跡では、整備事業が行われており、開園時間内なら見学することもできます。

永福寺の歴史

永福寺は、源頼朝が文治5年(1189)に奥州藤原氏の平泉を攻めた際に、戦争で亡くなった数万の兵の霊を鎮めるために建立されたといわれ、平泉の毛越寺と中尊寺に影響を受けたといわれてます。

頼朝が征夷大将軍に任命された建久3年(1192)に、永福寺の中心になる二階堂が完成したそうです。この一帯の土地を二階堂と呼ぶのは、永福寺の二階堂によります。

 

建久5年(1194)には、阿弥陀堂と薬師堂が完成しています。

二階堂は釈迦如来、阿弥陀堂は阿弥陀如来、薬師堂は薬師如来と、それぞれの堂で本尊を祀る大きな寺院だったようです。

頼朝の死亡後も、境内では蹴鞠や花見、歌会といった行事が行われ、鎌倉幕府の権威を表す寺として栄えました。

しかし、鎌倉時代後期になると二度の火災にあい、その後も消失と再建を繰り返すことになり、応永12年(1405)12月には主な建物が焼け落ち、それ以後は再建されることなく、廃寺となったそうです。

 

「永福寺は源頼朝が建立した三大寺院の一つです。

奥州平定(文治五年(1189))で犠牲となった源義経や藤原泰衡らの霊を供養するため、奥州の地で見聞した中尊寺大長寿院二階大堂や毛越寺などを模した壮大な寺で、建久五年(1194)に中心伽藍が完成したと伝えられています。

中心伽藍は二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の三堂で、それぞれに各三人の有力御家人を奉行として置き、京都から招いた庭師に造らせた庭園は広い苑地に自然石を配した見事なもので、往時には鎌倉きっての名勝地とうたわれていました。

13世紀の中頃、大規模な改修が行われ、鎌倉時代の後半に何度か焼失したものの再建されましたが、鎌倉幕府滅亡後も鎌倉公方の足利氏によっで保護されました。しかし、応永十二年(1405)の火災による焼失以後は再建が行われず、江戸時代の初め頃には廃寺となってしまいました。

発掘調査により、前面に池を配し、阿弥陀堂・二階堂・薬師堂が一直線で廊でつながり、翼廊というL字形の廊を配した南北130mに及ぶ中心伽藍が発見されました。堂の配置は独特のもので、池に配された庭石の規模も非常に大きく、鎌倉幕府の独創性と権威を表す寺として注目されています。

永福寺跡は、今後史跡公園として整備し、公開していく予定です。鎌倉市教育委員会」

「国指定史跡 永福寺跡」の案内より

 

永福寺の建物と庭園

 

永福寺舊蹟

「永福寺世ニ二階堂ト稱ス、今ニ二階堂ナル地名アルハ是ガタメナリ、文治五年頼朝奥州ヨリ凱旋スルヤ彼ノ地大長壽院ノ二階堂ニ擬シテ之ヲ建立ス、輪奐荘厳洵ニ無雙ノ大伽藍タリキト云フ、享徳年間関東管領ノ没落セル頃ヨリ後全ク頽廃ス

大正九年三月建之 鎌倉町青年會」

 

永福寺は源頼朝により建久3年(1192年)、奥州合戦で亡くなった弟・義経や藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建てられた大寺院。応永12年(1405年)の火事で焼失したといわれ、現在は廃寺。発掘調査により本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並び、その前面には広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園を持つ壮大な寺院の遺構が確認されている。現在は、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡に指定され、史跡を生かした公園として親しまれている。

鎌倉市HP 永福寺跡 https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kamakura-kankou/meisho/08youfukujiato.html

 

永福寺跡地

開門時間内(9時~17時(11月~3月までは16時30分))なら永福寺跡を見学することができます。

永福寺跡の地図

 

阿弥陀堂があったとされる場所です。

 

跡地には建物などはありません。写真は薬師堂跡地です。

 

二階堂跡地

 

鎌倉時代は池があったようですが、現在は泥水があるだけです。

 

敷地内はきれいに整備されていて、週末は観光客もそこそこいます。

 

手前から南翼廊、阿弥陀堂、二階堂、薬師堂、北翼廊です。といわれても分からないかもしれませんが、現地には案内があるので分かると思います。

 

南側に階段のようなものがあったので登ってみることにしました。

 

階段の上からは、永福寺跡を見下ろすことができました。

 

永福寺跡へのアクセス

所在地:神奈川県鎌倉市二階堂

アクセス:JR横須賀線「鎌倉駅」からバスで「大塔宮」バス停下車、徒歩10分

開門時間:9時~17時(11月~3月までは16時30分)

 

 

駐車場はありません。

駐輪場があると聞いたので別の日にロードバイクで行ってみましたが、ただの空き地でした。ロードバイクは無理ですが、オートバイやママチャリなら置けます。

 

永福寺跡まとめ

永福寺は、源頼朝によって建立された三大寺社の一つです。

地名の二階堂は、永福寺の二階堂が由来です。

頼朝死後も永福寺では、様々な催しが行われましたが、弘安三年(1280)の鎌倉大火と延慶三年(1310)により二階堂が焼け落ち、応永十二年(1405)の炎上以後は記録から消えています。

鎌倉時代に創建された寺院でその後廃寺となったものは多いですが、跡地がきれいに残っているのは珍しいと思います。

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