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横浜の旧東海道をゆく1日目(鶴見~神奈川宿)

投稿日:2022年2月19日 更新日:

川崎の八丁畷駅で降りて横浜方面に旧東海道を歩いてみました。

 

旧東海道は、江戸から京都まで続く街道のことで、途中には53の宿場(東海道五十三次)があります。

横浜市内には、神奈川宿、保土ヶ谷宿、戸塚宿の3つの宿場があります。その後は藤沢宿、平塚宿、大磯宿、小田原宿、箱根宿へと続いていきます。

横浜市内の旧東海道

1600年の関ケ原の戦いに勝利した家康は、東海道を整備して伝馬制度が始まりました。

最初の伝馬制度では、37の宿場が置かれ、神奈川宿と程(保土)ヶ谷宿が置かれました。1604年になって戸塚宿が加わり、1624年には東海道五十三次になりました。

江戸時代の宿場は、大名の参勤交代や社寺参詣の旅人で賑わったといいます。

宿場では荷物や手紙の運搬業務を行なったり、宿内の宿泊施設や茶店では旅する人が休んだり、泊まることができました。

 

東海道は、現在では国道1号線や15号線として整備されましたが、今でも宿場の面影を残す史跡や寺社などがあります。

 

2回に分けて旧東海道を散策しようと思い、1回目は鶴見から神奈川宿(上台橋)まで歩いてきました。

鶴見から生麦事件碑

京浜急行線の八丁畷駅があるのは川崎市ですが、少し歩くと横浜市の鶴見区に入ります。

この道路が旧東海道です。この辺はあまり詳しくないですが、稲毛公園の近くに短期間だけいました。

(旧東海道)

 

川崎宿と神奈川宿の間にあるのが鶴見生麦です。街道沿いには寺院も多くあります。

 

左:熊野神社(鶴見七福神)、右:専念寺

 

日本橋から5つ目の一里塚が市場村一里塚です。

東海道が幕府によって整備されると、日本橋から一里(約4キロ)ごとに街道の両側に五間(一間約1.8m)四方の塚が築造されました。一里塚は旅人の道標の役割を果たしました。

(市場村一里塚)

 

(市場村一里塚由来記)

 

旧東海道といっても現在では整備されており、自転車の通行を示す矢羽根なんかもペイントされてます。途中で国道と重なることもありますが、ほとんどはこんな感じの道が続きます。

 

今は何もありませんが、幕末は鶴見橋に関門があったそうです。幕末は過激派による外国人襲撃事件が増えていたので、橋際に関門を設けて横浜に入る者を取り締まりました。

文久2年(1862)に生麦事件が発生すると、その後の警備のために川崎宿から保土ヶ谷宿までに20か所の見張り番所が設けられたそうです。

(生麦事件の碑)

実際の生麦事件の現場は旧東海道を鶴見方面に800mくらい?進んだところにあります。ただ、現在は看板もなくなっていたようなので、初見だとほとんど気づかない可能性があります。

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神奈川宿

生麦事件碑の前の道を国道15号線に出て、そのまま横浜方面に進みます。

日本橋から3つ目の宿場が神奈川宿です。

神奈川宿には、幕末の開国で重要な役割を果たした寺院がいくつかあります。

 

神奈川地区センターの近くに復元された高札場があります。高札場というのは、幕府の法度や掟を庶民に伝えるための施設です。

 

成仏寺です。

成仏寺は、鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗の寺でしたが、徳川家光の上洛の際に、宿泊所の神奈川御殿造営のために現在地に移されたそうです。

開港当初はアメリカ人宣教師の宿舎として使われ、ヘボン式ローマ字で有名なヘボンも宿泊していたそうです。

 

そして、こちらが慶運寺ですが、この寺は開港時にフランス領事館が置かれました。

慶運寺の入口にはフランス領事館跡の碑が立っています。浦島観音堂には、浦島太郎が竜宮城で乙姫様にもらったとされる菩薩像が安置されています。

 

旧東海道からは少し逸れますが、神奈川署前の国道を渡った先に神奈川台場公園があります。神奈川台場は、勝海舟の設計によって建築された砲台です。

この公園には、幕末の外国船の様子を解説した案内が設置されてます。

公園なのに歴史の勉強になります。

 

青木橋を渡った先にあるのが本覚寺です。

本覚寺は、鎌倉時代の創建と伝わる曹洞宗の寺院ですが、もとは臨済宗の寺院だったそうです。

本覚寺は、東海道と湊が見下ろせる交通の要衝にあったので、ハリスによってアメリカ領事館として定められました。神奈川領事は、山門をペンキで塗って日本人の立ち入りを禁じたそうです。

 

台町にある神奈川宿の案内です。当時の台町の下は崖になっていて、房総半島まで見渡すことが出来たそうです。

案内には「神奈川宿は日本橋を出て三番目の宿場町です。現在の台町あたりは、かつて神奈川湊を見下ろす景勝の地でした。この神奈川が一躍有名になったのは、安政元年の神奈川条約締結の舞台となってからです。その四年後に結ばれた日米通商条約では神奈川が開港場と決められていましたが、後に横浜に変更されました。」とあります。今の台町はマンションが建ち並ぶ住宅地です。

 

この辺は袖ケ浦と呼ばれていたそうです(神奈川台の関門跡の碑)。

 

上台橋を過ぎたところで坂を下って横浜駅から帰りました。

 

おわりに

鎌倉と比べると横浜は歴史が浅いですが、思っていたより史跡が数多くあります。

普段通る道も、歴史に思いをはせながら歩いてみるとなかなか乙です。

 

次は横浜から保土ヶ谷を経て、戸塚へ行きます。

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侍従川

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