紅葉を見に横浜市中区にある「三渓園(さんけいえん)」に行ってきました。
三渓園を訪れたのは、10年以上前に愛知の友人を案内して以来です。
当時は日本庭園を見てもたいして興味がありませんでしたが、今は日本建築物を見るのも花を観るのも楽しいと感じるようになりました。
訪れたのは12月中旬だったので紅葉の旬は過ぎてましたが、今年は暖冬だったおかげでまだ楽しめました。
三渓園では、梅や桜も有名ですし、年間行事も開催されているようなので、近いうちにまた訪れることになりそうです。
三渓園は季節ごとに様々な花が開くので、季節を変えて訪れるのもよさそうです。
三渓園(さんけいえん)とは
三渓園は、横浜市中区にある国指定名勝にもなっている日本式の庭園であり、横浜を代表する景勝地として知られています。
園内では17棟の歴史的建造物と四季折々の花々を見ることができます。
三渓園に魅せられて、年に何度も足を運ぶ人もたくさんいます。
三渓園は、「かながわの景勝50選」にも選ばれています。かながわの景勝50選の碑は駐車場入り口の近くにあります。
三渓園の名前の由来は、明治時代末から大正時代にかけて富岡製糸場などで財を築いた原三渓です。
幕末に列強の圧力によって開港した横浜は、製糸・生糸貿易の一大貿易港として発展しました。
三渓の養祖父であった豪商の善三郎が現在の三渓園に土地を購入し、善三郎の死亡後に三渓が三渓園を整備して、明治39年に外苑を一般に無料公開しました。
三渓死亡後の昭和33年には、内苑も一般公開され、平成19年には国の指定名勝にされました。
三渓園は、約175,000㎡の広さにもなる日本式の庭園で、京都や鎌倉から集められた17棟の歴史的建築物が移築されています。
歴史的な建築物は、周りの自然と相まって見事な景観を醸し出しています。
園内には、三渓記念館がありますが、ここでは三渓が支援した芸術家や文学者の作品を見学することもできます。
三渓自身も芸術家として多くの作品を遺しています。
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三渓園のみどころ
三渓園の見どころについて、順番に紹介していきます。
三渓園は、最初に一般に向けて公開された外苑と、原家の庭として使用されていた内苑とに分かれます。
内苑にも外苑にも、歴史的な貴重な建築物があります。
また、三渓園では、1年を通して様々な花を見れます。
中でも紅葉と蓮、雪景色は素晴らしい景色です。
遊歩道から見える紅葉
内苑の紅葉
三渓園の入口は、明治39年に建築された正門からと、本牧市民公園がある側の南門とがあります。
写真の右に写っているのが正門です。左の道の先は駐車場になっています。
正門を通った先には、三渓園の大池があります。
大池の先には、旧燈明寺の三重塔が見えています。
燈明寺は京都にある寺院ですが、財政危機にあっていたところを原三渓が三重塔を保存のために移築したといわれています。
三渓園案内図
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三渓園の内苑にある建築物
内苑の御門は、江戸時代に建築したものを大正になって三渓が移築しました。
御門は、京都の西方寺に宝永5年(1708)頃造営されたそうです。御門は横浜市の指定有形文化財とされています。
御門から入って右手にあるのが白雲邸(はくうんてい)です。
白雲邸は、三渓の隠居所として大正9年(1920)に建築されました。
白雲邸の前には、三渓記念館があります。
三渓記念館には、三渓とゆかりの芸術家の作品や、三渓自身の作品が展示されてます。館内には茶席や売店などもありました。
御門を進んだ先には、臨春閣(りんしゅんかく)があります。
臨春閣は、紀州藩祖の徳川頼宣が慶安2年(1649)に建てたものを大正6年(1917)に移築したものです。
重要文化財に指定されており、別荘建築としては大変貴重なものだそうです。
内苑の真ん中あたりにあるのが、旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)です。
寿塔とは、長寿を祝って生存中に建てる墓をいいます。
旧天瑞寺寿塔覆堂は、豊臣秀吉によって建築された寿塔の覆堂です。
天瑞寺は廃寺になってしまいましたが、寿塔は大徳寺内にあるそうです。
階段を上った先にあるのが、月華殿や金毛窟、天授院です。
金毛窟(きんもうくつ)と月華殿(げっかでん)です。
右の月華殿は、家康が征夷大将軍に任命された年の建築で、京都の伏見城にあった大名の控室でした。
月華殿よりも奥にあるのが、天授院です。
天授院は、鎌倉の建長寺近くにあった心平寺の地蔵堂の建物です。
建築年は、江戸時代の慶安4年(1651)と伝わっており、重要文化財に指定されています。
聴秋閣(ちょうしゅうかく)は、京都の二条城にあったと伝わる、春日局ゆかりの楼閣建築です。
奥には遊歩道があり、紅葉がきれいです。
春草盧(しゅんそうろ)は、織田信長の弟の織田有楽斎によって建築された茶室です。
ちなみに有楽町は、有楽斎の名にちなむとされています。
蓮華院は、三渓によって建築された建物ですが、土間と壁には平等院鳳凰堂に使われていた円柱と格子があります。
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三渓園の外苑にある建築物
大池と蓮池の間の道を進んでいくと、「鶴翔閣(かくしょうかく)」があります。
鶴翔閣は、三渓の自邸として明治30年に建てられました。
横山大観などの三渓が支援した芸術家が出入りしたとされ、横浜市の指定有形文化財となっています。
鶴翔閣は、予約して使用料を払えば、茶会や句会などに利用できます。
外苑には、海側の工場地帯を見渡せる展望台があります。
松風閣(展望台)
松風閣からは、工場だけでなく、うっすらとですが富士山も見えました(写真真ん中)。
三渓園といえば、燈明寺の三重塔が有名ですが、三重塔は外苑の高台にあります。
旧燈明寺三重塔(きゅうとうみょうじさんじゅうのとう)は、室町時代の康正3年(1457)の築といわれ、関東地方にある木造の塔では最古です。
インドの文学者タゴールも訪れている初音茶屋です。
横笛庵は、縁結びに効果があるそうです。
横笛庵には、横笛の像が安置されていたそうですが、太平洋戦争の空襲で失われてしまいました。
横笛は、高倉天皇の中宮、建礼門院に仕えた女性です。
横笛を一目見て惚れてしまった平重盛の家臣斎藤時頼が、恋文で思いを伝えると横笛は受け入れましたが、時頼の父がこれに反対したため、時頼は出家してしまいました。
時頼から送られた千束の恋文で、横笛が作ったのが横笛の像といわれています。
数年前に映画「駆け込み女と駆け出し男」で、縁切寺として知られるようになった鎌倉東慶寺の仏殿もあります。
旧東慶寺仏殿は、北条時宗の妻覚山尼が創建した縁切寺で室町時代に再建されたものですが、明治40年に三渓園に移築されました。
旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)は、三渓園で唯一内部を見学できる建築物です。
旧矢箆原家住宅は、岐阜の白川郷にあった建物で、現存する合掌造の建物では最大級とされます。
矢箆原家は飛騨三長者の一つといわれ、農家でしたが建物には書院造の座敷や接客室があります。
案内のボランティアさんがいろいろと建物について教えてくれました。
日本建築史にとっても重要な建物です。
燈明寺は日蓮宗の寺院ですが、実質的には廃寺だそうです。
建築年は、三重塔と同じ室町時代の康正3年です。
三渓園へのアクセスと駐車場・駐輪場
三渓園の住所 | 神奈川県横浜市中区本牧三之谷58 |
電車・バス | JR根岸駅からバスで10分・本牧バス停から徒歩10分 横浜駅東口2番からバスで35分・三渓園入口バス停から徒歩5分 元町・中華街駅4番出口・山下町からバスで15分・三渓園入口バス停から徒歩5分 |
車 | 石川町JCTから本牧通りを進んで行く |
開園時間 | 9:00~17:00(入場は16:30) |
入園料 | 大人700円、こども(小学生・中学生)200円 |
休園日 | 12月29日~31日 |
Googleマップ
三渓園の駐車場は、三渓園入口を左に進んだ先、三渓園に隣接してあります。
三渓園の入口。左に少し見えるのが駐車場入口です。
写真の左がタクシー乗り場ですが、この脇が駐輪場だそうです。パッと見たところ10台も置けそうにないスペースしかありませんでした。
三渓園の駐車場料金は、最初の2時間が500円、それ以後30分ごとに100円がかかります。
ただし、当日の上限は1000円までです。
まとめ
三渓園は、景勝地として優れているので、一度は訪れてみることをおすすめします。
横浜というと、赤レンガ倉庫や象の鼻パーク、馬車道と近代的な洋式建築物のイメージが強いかもしれませんが、三渓園は日本式の建築物と庭園が見れる場所となっています。
明治の日本では、王政復古があったために、日本史の汚点といわれる廃仏毀釈がありましたが、この時に仏教建築を保護したのが三渓だったそうです。
三渓園の開園当初は、否定的な人もいたそうですが、三渓が仏教建築物を保護したからこそ現代人も歴史的な建築物を鑑賞できることを思えば、もっと評価されてもよさそうです。