神奈川県逗子市桜山にある「蘆花記念公園」は、明治時代の文豪徳冨蘆花ゆかりの公園です。
公園内にある郷土資料館には、逗子の歴史資料が展示されてます。
※郷土資料館は2020年に閉館しました。
郷土資料館のある高台からは湘南の海を一望できます。
また、天気が良い日は富士山が見える絶景スポットとしても知られています。
徳冨蘆花と不如帰
徳冨蘆花は、熊本で生まれた明治の小説家です。
徳冨蘆花公園には、蘆花が散歩したといわれる道があり、散歩道沿いには蘆花の作品から文が抜粋して紹介されてます。
小説「不如帰」は、逗子を舞台にした片岡中将の娘浪子が主人公の悲しい話です。
不如帰は徳冨蘆花を有名にした小説です。
本の厚みは大したことありませんが、文体が昔のものなので読みにくく、読み終わるのに結構時間がかかります。
日清戦争の時代、家族制度のしがらみと結核にさいなまれる浪子と武男の哀切きわまりない物語としてあまりにも有名なこの小説は、数多くの演劇、映画の原作ともなって、今日なお読みつがれている。大山巌元帥の娘信子の哀話をもとに、明治31-32年「国民新聞」に連載され、当時空前の反響をよんだ蘆花(1868-1927)の出世作。
本の表紙のあらすじから
逗子市内の国道134号線沿いに浪子不動と呼ばれる場所がありますが、ここは不如帰の舞台となった場所だそうです。
浪子不動の前の海には、不如帰の碑が立っています。郷土資料館でも不如帰の碑を紹介してます。
干潮の時は、碑まで歩いて行くことができます。碑の上には、いつもカラスがとまっています。
干潮の時の様子は、下の記事から見れます。
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小説不如帰の舞台となった逗子の「浪子不動」と「不如帰の碑」
逗子の海岸沿いにある高養寺は、徳富蘆花の小説「不如帰(ほととぎす・ふじょき)」の舞台となった場所といわれています。 寺院は小説のヒロインである浪子の名から、浪子不動と呼ばれて親しまれています。 &nb ...
浪子不動所在地:神奈川県逗子市新宿5丁目5−5
駅から蘆花記念公園へ
今回は京浜急行線の逗子・葉山駅から行きました。
駅から蘆花記念公園に向かう途中にある田越川と田越橋です。
この辺では公園を散歩コースとして利用している人もいます。
県道から住宅地を入った先に入口があるので、少し分かりにくいかもしれません。
蘆花記念公園散歩道
蘆花記念公園に入ると、郷土資料館に続く蘆花散歩道と呼ばれる歩道があります。
蘆花散歩道沿いには、蘆花の文が書かれた立札が立っていて、文学に触れながら散歩できます。
蘆花記念公園内のマップです。旧脇村邸と郷土資料館と休憩所の紹介もあります。
公園に入ってすぐのところにトイレがあります。トイレは9時から16時30分までの利用制限がありますが、この辺では貴重です。
「文豪徳冨蘆花 自然と人生 蘆花散歩道」と書いてあります。郷土資料館へは右手の丘陵を上がっていきます。
散歩道はこんな感じです。天気が良ければ、木々の隙間からここからも江の島や富士山が見えます。
以下、散歩道の途中にあった蘆花の文を少しだけ紹介します。
霜の朝
「手水鉢の氷厚し。外に出づれば、道側に引きあげられたる海藻雪の如く霜を帯び、田越川一面に薄氷をつけたるが、潮の満ち来るに従ひ、氷はぱりぱりと落として裂け、裂けたる片(きれ)は潮につれて上流に流れ行く……(後略)」
初午
「初午の太鼓とうとうたり。梅花は已に六七分、麦は未だ二三寸。「奉献稲荷大明神」の旗村々に立ちて、子女衣を更めて往来し、人の振舞酒に酔はざるはなし」
彼岸
「今日彼岸に入る。梅花歴乱として、麦緑すでにけいをなしぬ。菜花盛となり、椿はぽたりぽたり落ち落ちて地も紅なり。……」
現地だと読めますが、写真だと文字がかすれて判別できません。
市の花ほととぎす植栽場です。
「花月の夜」
「戸を明くれは、十六日の月桜の梢にあり。空色淡くして碧霞み、白雲團々、月に近きは銀の如く光り、遠きは綿の如く、和らかなり。」
夕山の百合
「夕方後山に登る。夕風靑茅を戦がして、百合の花の香其処はかとなく漂ひ、丘上にしょんぼり月の影あり。日は大山の右に入りて……径を來む靑茅の一色に靑黒きに点々たる百合の花、朧夜の星の如く、ほの白う暮れ残りぬ。風そよそよとして、夕山の香袂に満つ。」
「夏」
「夏去り秋来る」
「秋分」
「秋漸く深し」
「月を帯ぶ白菊」
「冬至」
郷土資料館
蘆花散歩道を上った先には、郷土資料館があります。
郷土資料館の入口
郷土資料館の開館時間は9時から16時まで、入館料は大人100円、子供50円です。
※現在、郷土資料館は閉館しました。
郷土資料館の敷地に「逗子八景 桜山の晴嵐」の看板が立ってます。
逗子八景の看板が確認できるのは、披露山の暮雪、浪子不動の秋月、神武寺の晩鐘、小坪の帰帆と、この桜山の晴嵐の5個所です。これをもとに回ろうとしましたが、4つ目に行った山の根の夜雨で場所が分からず諦めました。
逗子市郷土資料館についてです。
「大正元年(1912)頃に横浜の実業家の別邸として建てられましたが、大正六年から昭和十九年までは徳川宗家第十六代当主徳川家達(いえさと・貴族院議長)が使用したと伝えられます。建物は木造平屋建て、寄棟造りの桟瓦葺きです。部屋の配置はT字型で、海に面した西側は八畳の和室が一列に四部屋並び、それに沿って縁側が一直線に伸びています。冬晴れの日などには、相模湾に浮かぶ江ノ島の背後に丹沢、富士の山々を一望することができます。
昭和五十九年からは郷土資料館として、逗子に関わる文学・歴史などの資料等を展示しています。」
郷土資料館入口です。月曜日は休館日でした。
郷土資料館は、徳川家十六代当主家達が過去に保有してました。
郷土資料館からの眺めです。富士山と江の島が一望できます。
郷土資料館からの眺めは、逗子八景に相応しい素晴らしい眺めでした。
蘆花記念公園へのアクセス
蘆花記念公園は、田越川沿いを進んで行きます。
所在地 | 神奈川県逗子市桜山8 |
交通 | 京急新逗子駅から徒歩15分・JR逗子駅からバスで「富士見橋」バス停下車徒歩8分 |
トイレ | 9時から16時30分まで |
駐車場はありません。
旧脇村邸
蘆花記念公園の敷地内にある旧脇村邸にも行きました。
昭和9年に三井物産常務取締役であった藤瀬氏の別荘として建てられ、 当時の景観が残る歴史的な建築物です。その後、東京大学教授の脇村氏が購入し、住んでいました。 脇村氏が没後に相続税として大蔵省(現・財務省)に物納されていたものを、蘆花記念公園の一部として、平成19年3月に逗子市で取得(一部無償貸付)しました。
木造二階建て和洋折衷様式の数寄屋造りであり、伝統的様式や技法で建築されており、逗子の歴史・生活・文化の感じられる建築物です。
この建築物は平成19年1月22日に逗子市景観重要建造物に指定されました。
蘆花記念公園に入る手前の道を入るので、入口が分かりにくです。
おわりに
徳富蘆花は、不如帰で逗子の名を世に知らしめたといわれてますが、逗子は数々の文豪に愛された地です。
私も港北から自転車で逗子を訪れた時、海と江ノ島と富士山を一緒に見ることが出来ることに衝撃を受けました。
逗子は田舎ですが、自然があってのどかで治安もよいので、家族で住むのにおすすめです。
郷土資料館の閉館で、逗子ゆかりの文学に触れることができないのは残念です。