歴史

金沢八景と金沢文庫の今と昔

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生まれも育ちも金沢区という知り合いに頼んで、金沢区の昔の写真や小学校卒業アルバムの写真を見せてもらいました。

横浜市金沢区といえば、鎌倉時代は鎌倉の外港として栄え、明治期に入ると伊藤博文を代表とする著名人の別荘があった地として知られている歴史ある場所です。

金沢の歴史

鎌倉は遠浅だったことから、金沢が鎌倉の外港として栄えました。

鎌倉時代の金沢は、宋の船が入って来たり、房総半島と船の出入りがあったといわれております。

 

また、金沢では製塩が行われ、金沢から鎌倉への道は「塩の道」であったことでも有名です。

金沢から鎌倉に入る切通しの「朝夷奈切通」は、鎌倉に入る主要な道「鎌倉七口」の一つです。

 

北条氏一門の北条実時が現在の称名寺に居を構えて、ライバルの御家人に備えたことは有名です。

横浜市金沢区にある「称名寺」と「金沢文庫」は金沢北条氏による創建

京浜急行線の駅の一つに「金沢文庫」駅があります。 どちらかというと「称名寺」の方が名所としては有名な気もしますが、金沢文庫が駅名になっています。 称名寺の庭園は、浄土庭園として高く評価されています。 ...

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金沢は現在の行政では横浜市に入りますが、中世は鎌倉の勢力内とされ、北条氏にとっても重要地の一つでした。

 

江戸時代になると、中国の僧心越禅師が故郷を懐かしんで、能見堂から見た景色を瀟湘八景になぞらえたことから、「金沢八景」が生まれました。

当時の金沢は、かなり湾が入り組んでいて、今の金沢文庫駅近くまで船で入ってくることができたそうです。

 

明治になると伊藤博文の別荘が野島に建てられるなど、著名人からも人気の避暑地として知られるようになります。

明治期には、外国人に習って別荘を建てることが政府要人の間で流行りましたが、東京から近い避暑地の要件を満たしたのがこの金沢だったそうです。

 

昔の金沢文庫

鎌倉時代の金沢(北条)実時が、書籍を集めて保管場所としたのが金沢文庫の発祥とされています。

金沢文庫は、日本最古の武家文庫とも言われています。

当然かもしれませんが、今の金沢文庫とは全然違います。

 

 

金沢区の中心地泥亀の名前の由来となった泥亀新田。

 

明治34年の塩田作業風景。明治時代はまだ塩田が行われていたようです。

 

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昔の金沢八景

明治時代の金沢八景は、まだ江戸時代の面影があったようです。

どこか分かりませんが、金沢八景の写真のようです。

 

明治時代は、湾がかなり入り組んでいたようです。

 

数年前に道路を調べに図書館に行った際、明治期の地図を閲覧しましたが、当時は柳町もないし、追浜の工業地帯もありません。福浦や幸浦の工業地帯もないですし、八景島もありません。

 

野島山から見た「夕照橋」ですが、現在関東学院大学の校舎が建っている場所がありません。

この時点で昭和20年代ですが、湾が埋め立てられるのはまだまだ先です。

最初見た時は、室の木・追浜側から見た野島だと勘違いしました。

 

この写真は室の木側から見た、現在の夕照橋と野島山です。

 

野島山から現在の室の木の写真を撮ろうと思いましたが、木が邪魔でうまく撮れませんでした。向かうにある住宅地の一部は埋め立てによって出来ました。

 

今なら富岡から横須賀に行くのに国道16号線で一本で行けますが、江戸時代は富岡から横須賀へ行くには、大回りするか船で行くかしなければならなかったという話を聞いたことがあります。

 

伊藤博文の別荘

伊藤博文の別荘は、野島にありました。

現在も野島には、伊藤博文の別荘が保存されており、無料公開されてます。

伊藤博文の別邸の開園時間は9:30から16:30まで、休園日は第1・第3月曜日です。

 

昔に撮られた伊藤博文別邸の写真です。配置が今と少し違うような気もします。

 

旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文により、明治31(1898)年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築です。伊藤博文が風光明媚な金沢の地を好んで建てたといわれ、大正天皇や韓国皇太子なども訪れました。

明治時代、富岡などの金沢近辺は、東京近郊の海浜別荘地として注目され、第4・6代内閣総理大臣の松方正義や大蔵大臣・外務大臣等を務めた井上馨、日本画の大家の川合玉堂などが別荘を設けました。その後、大磯や葉山などが別荘地として栄え、金沢はその役割を終えました。旧伊藤博文金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。

旧伊藤博文金沢別邸 http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/nojima/hakubuntei/outline.php

 

金沢八景の写真

金沢の地は、景勝地としても古くから知られていましたが、能見堂の地から見た景色を心越禅師が故郷になぞらえて漢詩を作ってからは、庶民の間にも知られるようになりました。

金沢八景と近江八景は、中国の瀟湘八景をもとにできたといわれており、金沢八景の由来は能見堂の地から見た景色がもとになったそうです。

「金沢八景」の名前の由来は「能見堂」からの眺めから

日本全国にある八景の中でも、近江八景と並んで有名なのが「金沢八景」です。 金沢八景は、近江八景をまねて作られたとも言われています。   金沢八景と金沢文庫は、横浜市の金沢区という場所にあり、 ...

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明治大正時代の能見堂

 

瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)

昔の瀬戸橋

 

 

洲崎晴嵐(すさきのせいらん)

ビルが一つもないというのは、すごく新鮮に感じます。

昔は金沢八景にも渡し船があったようです。

 

平潟落雁(ひらがたのらくがん)

落雁とは、雁の群れが舞い落ちる姿を言うそうで、瀟湘八景図の平砂落雁に由来するそうです。

 

野島夕照(のじまのせきしょう)

写真が白黒だからよく分かりません。

 

乙艫帰帆(おっとものきはん)

昔の乙舳、乙舳の帰帆として知られます。

 

おわりに

昔の写真を見るのは歴史を感じることが出来て面白い。

 

  • この記事を書いた人

横浜ライフプラン

横浜で不動産仲介業ファイナンシャルプランナーをしています。

 

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