関内

歴史

横浜市にある関内の地名の由来は、関門の内側にあったから?

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横浜市にある関内という名前の由来は、吉田橋に設置されていた関門の内側にあったからだと言われています。

関門の内側を関内と呼び、外側を関外と呼びましたが、現在は関内の呼び名だけが残り、関内駅は横浜の中心的存在となりました。

 

みなとみらいの開発で観光客にはみなとみらい21エリアが最近は特に人気ですが、関内周辺は馬車道や近代建築物が建ち並ぶ等、日本の近代化発祥の地としてこちらも観光客に人気です。

JR根岸線の関内駅は、横浜スタジアムで有名な横浜公園や伊勢佐木町、市役所の最寄り駅となっており、かつては横浜の中心地的な存在でした。

みなとみらい線が通るまでは、山下公園や大さん橋を観光するために多くの人が関内駅を利用していました。

関内と関外

嘉永7年(1854)に日本とアメリカとの間で締結された日米和親条約の応接所が横浜に置かれました。

江戸時代末期の横浜村は、100軒足らずの寒村だったといわれています。

黒船の来航によって日本の鎖国は終わり、開港地の一つとなった横浜は急速に発展していきました。

近くの山下公園や象の鼻パークでは、日本の近代化に関係する碑や看板を見ることができます。

 

日本大通の開港広場には、日米和親条約調印の地と刻まれた碑があります。

日米和親条約調印の地。

安政元年2月から3月、日本からは林大学頭が出席して、アメリカのペリー提督と交渉が行われました。

日米代表が横浜村の海岸であったこの場所で会見し、3月31日に日米和親条約を締結しました。

この条約はアメリカだけが有利に扱われ日本に不利なものでした。

この条約は幕府にとっては屈辱でしたが、日本の開国を促し、横浜市発展のきっかけとなりました。

 

そして、現在の横浜公園の東の区域が外国人居留地に定められました。

幕府は、外国人と日本人が接触しないよう、外国人居留地との隔離のために運河が開削されました。

この運河は堀川と呼ばれ、川に架けられた前田橋、谷戸橋、西之橋には関所が設けられました。

 

関内駅近くにある吉田橋は、幕末に関門が設置され、この橋の馬車道側を関内と呼び、伊勢佐木町側を関外と呼ばれました。

わんこ
このときの関内の呼び名が残って今の駅名に使われているんですね

イセザキモール入口から見た吉田橋です。普段何気なく通ってる橋ですが、意外と歴史があります。

 

多くの人が行き交う吉田橋には「吉田橋関門跡」の碑が立っています。

 

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橋にあった関所

関内と呼ばれたエリアは、南を海が、北東西を川が囲んでおり、関内エリアに渡るには各橋に設けられた関所を通らなければならなかったそうです。

 

関内駅近くの吉田橋、元町近くの西の橋、前田橋、谷戸橋には、かつて関所が設けられていました。

 

横浜開港をきっかけに運河が作られ、山下公園側に外国人居留地が作られました。

外国人居留地には、西洋やアジアの商人が集まり、西洋の建物や倉庫が建てられてヨーロッパの街が再現されたかのようだったとか。

 

外国人居留地の一角には多くの中国人が南京町を形成し、これが現在の中華街の起源となったそうです。

 

外国人居留地に渡るための橋に関所が設けられたのは、日本人が外国人と接触できないようにするためだそうです。

 

現在の西の橋。

西の橋は、明治26年に付け替えられた鉄橋です。

西の橋の道を北に行くと横浜公園、南に進んで行くと山手や本牧に出ます。

 

今の前田橋。

前田橋を北に行くと中華街、南に行くと元町商店街があります。

 

現在の谷戸橋。

北に行くとみなとみらい線の「元町・中華街駅」が、南に行くとアメリカ山に続く坂があります。

 

吉田橋

関内駅前にある吉田橋を渡ると伊勢佐木町があります。

伊勢佐木町のショッピングモールには、有隣堂の本店があります。

また、昔あった横浜松坂屋は「ゆず」がストリートミュージシャンとして活動していた場所です。

 

吉田新田から木橋が架橋されたので吉田橋と呼ばれました。

その後、明治2年(1869)にイギリス人土木技師によって付け替えられた吉田橋は、長さ24m、幅6mの日本最初のトラス鉄橋でした。

吉田橋は、日本最初のトラス鉄橋であり、文明開化のシンボルとして市民に親しまれたそうです。

現在の吉田橋は、1978年に完成した5代目の橋になります。

吉田橋は、最初は木橋でしたが、日本で長崎に次ぐ2番目の鉄の橋が架けられました。

 

写真地図の左が外国人居留地です。

明治元年(1868)政府の将兵により来日したブラントンは、横浜の近代的な街づくりに大きな足跡を残しました。

 

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マリナード地下街

吉田橋の下は、現在は地下街になっています。

この地下街は、マリナード地下街と呼ばれます。

吉田橋の下には、マリナード地下街と首都高速が通っています。

 

マリナード地下街には、誰でも弾くことができるストリートピアノが設置されています。

最近もテレビのニュースでマリナード広場のピアノが紹介されてましたが、ストリートピアノを設置する広場が首都圏で増えているようです。

 

今回のまとめ

・吉田橋にあった関門を境に内側を関内、外側を関外と呼んだ。

・日本人と外国人との接触を阻止するために関内に渡る橋に関所が設けられていた。

・吉田橋は最初は木橋だったが、明治2年に日本で2番目の鉄の橋として建て替えられた。

・幕末の横浜は地方の寒村に過ぎなかったが、開港を機に急速に発展していった。

 

 

みなとみらいエリアに人気が取られたとはいえ、横浜市内でも関内駅周辺は人気が高く、不動産価格も高いです。

神奈川でもエリアによって不動産格差が出ていますが、関内エリアは人気があるので賃貸に出しても借り手が付きやすいです。

 

  • この記事を書いた人

横浜ライフプラン

株式会社ライフプラン 

横浜市にある不動産ファイナンシャルプランナーの会社です。

社内には、1級ファイナンシャルプランナーと年金の専門家が常駐しています。
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