横須賀市浦賀にある「叶神社」は、西浦賀にある「西叶神社」と東浦賀にある「東叶神社」との2社があります。
源頼朝がこの神社で源氏再興を祈願し、源氏再興の願いがかなったことから、願いが叶う神社……叶神社としても知られています。
西叶神社の勾玉と東叶神社のお守り袋とを購入すると縁が成就すると伝わっており、叶神社はパワースポットとしても知られています。
西叶神社と東叶神社との間は湾が入り組んでおり、行き来しようとすると2.5キロの距離があるので、徒歩で40分くらいかかってしまいます。そこで、渡し船を利用すれば数分で行き来することが可能です。
叶神社の歴史
現在は東西2つある叶神社ですが、最初は一つしかなかったそうです。
養和元年(1181)に文覚上人が京都の石清水八幡宮を勧請して造られたのが西叶神社です。
江戸幕府による行政政策で浦賀が東西に分けられたことがきっかけで東の浦賀村に住む村民の要請を受け、西叶神社から勧請して東叶神社が1692年に創建されたそうです。
「叶神社は養和元年(1181)文覚上人が京都の石清水八幡宮を勧請して造られました。
平家の横暴ぶりを憤った文覚上人は源頼朝と源氏再興を願い、上人自ら治承年間、上総の国の霊山である鹿野山に参籠し修業を重ね、その本願が叶ったならば神社を建立して末永く祭祀することを誓いました。そして養和元年に大願成就の前兆を観じて、勝地を求め各地を遍歴した末に、鹿野山に相対する浦賀西岸の現在地に、社宇を建立し、文治二年(1186)源氏再興の大願が叶ったところから、叶大明神と称するようになりました。
現在の社殿は天保十三年に再建されたもので、本殿、幣殿は総檜造りで、その内部は悉く彩色され、本殿柱は金箔朱塗り、内部の花鳥草木の彫刻はすべて極彩色となって居り、扉は黒仕立蝋色塗、内面は金箔押しと云う華麗な装飾がなされている。
拝殿は花鳥草木の透し彫りのある格天井となっており七十四面ほどある、社殿四方の周囲の外部多くにも彫刻が施されている。これらの優れた彫刻は、当時名工と謳われた彫刻師、後藤利兵衛橘義光の作品である。このように、当時の最高に近い建築の技術の枠と彫刻の美を備えた社殿造営の工事費は、三千両と云う莫大な金額であったと云われ現在、叶神社の彫刻は横須賀市市民文化資産に指定されています。」
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西叶神社
西叶神社の鳥居横には「郷社 叶神社」と刻まれた柱が建っています。
叶神社は、老朽化によって建て替えが必要となっているようで、浦賀駅周辺でもご奉賛のお願いを見ました。
「村社 叶神社」
西叶神社の鳥居と拝殿
西叶神社の拝殿
東叶神社
東叶神社
「祭神は、京都の石清水八幡宮と同じ応神天皇(第十五代の天皇)です。
この神社は、養和元年(1181)八月十五日、高雄神護寺の僧文覚が、源氏の再興を願って石清水八幡宮の霊を迎えたことに始まるといわれ、その後、源頼朝によって、その願いが叶ったことから叶大明神の名で呼ばれるようになったと伝えています。また、このほか新編相模国風土記稿や皇国地誌残稿などには、この神社に関する記事が載っています。
神社の裏山を明神山と呼び、標高は約50mです。
後北条氏の頃、しばしば房総半島の里見水軍が、三浦半島に攻撃をかけてきましたので、それを防ぐために、この明神山に水軍を配置しました。山頂には、この神社の奥宮があり、その左手に「勝海舟断食の場」の標柱が立っています。
明神山の素晴らしさは、よく保全された自然林で、木々の種類も豊富なことです。特にウバメガシの自生は、県内でもこの明神山と城ヶ島だけで、ここが分布の北限とされています。この学術的に貴重な明神山一帯は、「県指定天然記念物・叶神社の社叢林」となっています。」
東叶神社の拝殿と階段
日西墨比貿易港之碑
このソテツ(蘇鉄)は、源氏再興の折に伊豆から移植奉納されたと伝わっているものだそうです。
階段の上からは、浦賀の湊が見えます。
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浦賀城
東叶神社がある明神山は、戦国時代には浦賀城というお城がありました。
浦賀城は、山を利用した砦で、関東地方の覇者であった後北条氏によって築かれたと伝わります。
西浦賀から見た浦賀城跡がある山
浦賀城は、15世紀後半の後北条三代目・氏康の時代に房総半島の里見氏に備えるために築かれたといわれています。
房総半島の里見氏と後北条氏は、1577年に和睦(房相一和)を結ぶまで戦争状態で、里見氏は三浦半島や鎌倉にたびたび攻めこんでいます。
叶神社の社叢林
「浦賀湾の東岸丘陵の突端斜面に位置する叶神社の社叢林は、標高五三メートルの山頂まで見事な常緑広葉樹林で被われている。
山頂部付近はスジダイ・マテバシイ林で占められ、一方斜面部はタブノキ林で被われている。
高木層は、樹高二〇〜二二メートルのタブノキが優先しており、亜高木層はモチノキ、シロダモ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、イヌビワが生育している。低木層には、トベラ、アオキ、ヤツデ、オオバグミ、ムラサキシブなどが見られる。
林床に出現する植物の種類も多く、キヅタ、テイカカズラ、ビナンカズラ、ヤブラン、キチジョウソウ、ツワブキ、イノデ、ベニシダ、オオバノイノモトソウなどが生育している。
神奈川県はもとより、関東地方でも珍しく自然度が高い安定した郷土林を形成している。
三浦半島沿岸部に残された数少ない自然林として学術的な価値も高く、天然記念物として指定されたものである。
また、叶神社の裏山一体は浦賀城跡といわれており歴史的にも貴重なところである。」
東叶神社の裏山
東叶神社の裏山には、勝海舟が咸臨丸に乗ってアメリカに行く前に断食したという場所があります。
裏の階段から山に登って行けます。
裏山の道
道の途中に立っている「勝海舟断食の碑」の看板
「万延元年(1860)、日本で初めて太平洋横断を成し遂げた咸臨丸の艦長格・勝海舟は、航海前に、東叶神社の井戸で水垢離をした後、裏山の山頂で断食をしたと伝えられています。
過酷な冬の太平洋を始めて航海するにあたり、船玉明神を祀る叶神社に、航海の安全を切実な思いで祈願したと思われます。」
予想以上に階段が多くあり、上まで行くのはしんどいです。
勝海舟断食の跡地にある解説
勝海舟断食の跡碑
高くそびえ立っている招魂塔
叶神社へのアクセス
叶神社の最寄り駅は、京急線の浦賀駅になります。
京浜急行線の浦賀駅前
西叶神社
西叶神社の所在地 | 神奈川県横須賀市西浦賀1丁目1−13 |
東叶神社
東叶神社の所在地 | 神奈川県横須賀市東浦賀2丁目21−25 |
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浦賀の渡し
西叶神社と東叶神社を徒歩で行き来すると、片道40分ほどかかってしまいます。
西浦賀と東浦賀を行き来する渡し船を利用すれば、約3分ほどで対岸に渡ることができます。
渡し船は、今でも地元の人々の大切な交通手段となっています。
ポンポン船の愛称で親しまれ、浦賀のシンボルになっている渡船は、港に隔てられた東西の浦賀の町を行き来する人にとって、大切な交通手段です。時刻表は無く、渡船が対岸にいるときは、呼び出しボタンを押すと、すぐに来てくれます。約3分ほどの船旅ですが、浦賀造船所跡地に建つクレーンやドックを海から眺めることができます。
渡し船は、江戸時代から続く重要な交通手段です。
利用時間 | 朝7時~午後6時まで |
料金 | 大人・高校生200円、小中学生100円、自転車50円 |
まとめ
・叶神社は、東と西の2つがある。
・1181年に西叶神社が創建され、江戸幕府の行政によって浦賀村が東西に分かれたのがきっかけで、東叶神社が創建された。
・東叶神社がある山にはかつて浦賀城があった。裏山の山頂には、勝海舟断食の跡がある。
・叶神社は、願いが叶うという言い伝えがあり、縁結びのパワースポットとして知られている。
・浦賀の東西を行き来するには渡し船がおすすめ。