鎌倉にある「源氏山公園」は、後三年の役に臨む際に、八幡太郎義家が白旗を立てて戦勝を祈願した地として知られている。
義家が白旗を立てたことから、別名・旗立山とも呼ばれている。
源氏山一帯は、源氏ゆかりの地であり、隣接する寿福寺には源頼朝の父・義朝の館があったといわれる。
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目次
鎌倉五山第三位の寿福寺と美しい参道
鎌倉幕府が定めた鎌倉五山のうち、第三位の格式を持つのが鎌倉市扇ガ谷にある「寿福寺」である。 寿福寺が建っている地は、源氏とゆかりのある場所で、境内裏の墓地には北条政子と源実朝の墓といわれている五輪の塔 ...
源氏山公園は、紅葉やあじさいの名所として知られており、鎌倉駅からのアクセスは良くないが、その分穴場的なスポットでもある。
公園と隣接して浄智寺、寿福寺、銭洗弁天もあるため、ハイキングを兼ねて一緒にまわる人もいる。
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源頼朝ゆかりの神社「銭洗弁財天」と「佐助稲荷神社」
源頼朝にゆかりの神社と言われている「宇賀福神社(うがふくじんじゃ)」と「佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ)」に行ってきた。 宇賀福神社は、銭洗弁財天の名前の方が有名な神社で、境内は常に観光客であふれ ...
源氏山公園へのアクセス
・住所 神奈川県鎌倉市扇ガ谷4丁目7−1
・JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩25分~30分
源氏山公園へは、「銭洗弁財天宇賀福神社」の前を通るルートが一般的で、他のルートはハイキングコースか切通(化粧坂)を通ることになる。
源氏山公園案内図周辺
銭洗弁財天の前の坂道を上ると、源氏山公園案内図が見えてくる。
公園といっても植物や史跡、広場といったものがあるだけで、公園内に子供向けの遊具はない。
この付近では、野鳥を見ることができるらしい。人に飼われている鳥しか見たことがないから少し興味が湧いた。
バイクや自転車の駐輪場は見当たらなかったが、付近にはバイクが3台停まっていた。
葛原岡神社
銭洗弁天の前の坂道をずっと上って行った突き当りを左に曲がり、しばらく進んで行くと「葛原岡神社」が見えてくる。
葛原岡神社は、後醍醐天皇による鎌倉幕府の討幕計画に加わった日野俊基を祀っている神社。
また、縁結びのパワースポットとしても知られている。
葛原岡神社
住所 神奈川県鎌倉市梶原5丁目9-1
葛原岡神社には、参拝者用の駐車場がある。
「葛原岡神社」入口にある石柱
駐車場の近くにあった「あじさいの小径」。源氏山公園はあじさいの名所である。
手水舎の前にあった手水の使い方の案内。
- まず右手で柄杓を持ち、水をすくい、左手にかけ、左手を清めます。
- 次に左手に柄杓を持ちかえ、右手を清めます。
- 清めた右手に柄杓を持ちかえ、左手で水をうけて口をすすぎます。
- 再度左手を清めます。最後に、柄杓を縦にしながら、柄杓の残り水で全体を清めて元の場所へお戻しください。
「魔去ル石」
1枚100円で盃を購入して、この石に当てて割ると魔が去るらしい。
縁結びの石
縁結びの神社だけあって境内には恋みくじや「縁結びの石」がある。
「合鎚稲荷社」
このお稲荷様には、商売アップのご利益があるそうだ。
合鎚稲荷の横にある参道をさらに進んでいくと、葛原岡神社の本殿がある。
「本殿」日野俊基はこの地で処刑された。
日野俊基卿最期の地
こもれび広場
葛原岡神社のすぐ近くには、ランチや休憩ができるそこそこ広い「こもれび広場」という広場がある。
神社がある場所は、一番高い場所にあるため日によっては富士山が見えることがある。
ハイキングコースを進んで行くと、「浄智寺」の横に出る。
葛原岡ハイキングコース
浄智寺は、鎌倉五山の第四位の格式ある寺院。
こもれび広場は、北鎌倉から大仏までのハイキングコースの途中にあるため、ハイキング目的の人が立ち寄って休憩しているのを見かける。
あじさい、紅葉の時期以外は、修学旅行生や遠足の学生で賑わっている。この日も修学旅行生を見かけた。
日野俊基の墓
葛原岡神社手前には、「日野俊基の墓」がある。
日野俊基は、後醍醐天皇に仕えて後醍醐天皇の討幕計画に加わった。
正中の変で計画が発覚して幕府に捕らえられ、許されて一命を取りとめたが、再び討幕計画に加わって捕らえられてしまい結局処刑されてしまった。
明治維新で廃仏毀釈が行われ、それまで日の目を見なかった南朝方の武将が祀られるようになった。
俊基も討幕の功労者として評価され、明治二十年に俊基を祭神とする葛原岡神社が創建された。
「国指定史跡 日野俊基墓入口」は、葛原岡神社と別にある。
日野俊基の墓 神社と比べると訪れる人が少ない。
鎌倉市教育委員会の「日野俊基墓」案内板
『日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣 後醍醐天皇につかえ討幕計画に参加した。
正中の変(1324)に捕らえられ許されたが、元弘の乱(1331)の時再び捕らえられ、鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された。
平成三年七月十五日 鎌倉市教育委員会』
源氏山公園東側
葛原岡神社から戻り、今度は公園の東側へ向かう。
公園の案内図の右の道を進んで行くと、2m80cmの幹回りを誇る立派なクスノキがある。
さらに進んで行くと、左手に「国指定史跡 化粧坂」の案内板を発見。
『化粧坂は、鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける「鎌倉往還上ノ道(かみのみち)」(武蔵路)の出入り口に当たります。鎌倉の交通の要衝であったことから、元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めでも戦場となっています。
『吾妻鏡(あづまかがみ)』建長3年(1251)12月3日条には、鎌倉の中で小町屋及び売買所を構えても良い場所の一つとして『気和飛坂山上(仮粧坂の山上)』と書かれています。坂頂上部は葛原岡(くずはらがおか)とも呼ばれ、元弘2年(1332)後醍醐天皇の討幕計画に関わった日野俊基(ひのとしもと)が斬首された刑場でもありました。指定地内北部には地蔵像や五輪塔などの浮彫りをもつ特徴的なやぐら群(瓜ヶ谷(うりがやつ)やぐら群)があります。また周辺の発掘調査では多数の火葬跡が発見されており、仮粧坂が交通の要衝であると同時に、都市鎌倉の境界に位置する葬送の地であったことが明らかになっています。
平成21年 12月 鎌倉市教育委員会』
「化粧坂切通」は、短いが交通の要衝として知られ、新田義貞もこの地から鎌倉に入ろうと試みたが落せず、稲村ケ崎から鎌倉に攻め入っている。
化粧坂入口の場所から少し歩くと広場に出る。
広場の中央の少し高い場所に源頼朝の像が立っている。
どことなく肖像画でよく見る頼朝に似ている気がする。
公園内に2か所あるトイレのうちの一つ、こちらは東側のトイレ。
公園内東側には広場のような場所がいくつかある。
公園内で最も高い場所。
まとめ
・源氏山公園で源義家が白旗を立てて戦勝祈願したことから、白旗は源氏の旗となり、源氏山は旗立山と呼ばれた。
・源氏の館があったため源氏山といわれるようになったという説がある。
・源氏山公園は、桜・あじさい・紅葉が見れる。アクセスが悪いため、穴場的スポットになっている。
・鎌倉七口の一つ化粧坂がある。
・源氏山公園の西側には、日野俊基のお墓と俊基を祀る葛原岡神社がある。
・葛原岡神社は、縁結びのパワースポットとして知られている。